2017年04月26日

今の社会のお金は消耗するのみで回らない

MOONISMの2017年2・3月号に、「人の生涯」と題する文鮮明先生のみ言が掲載されていました。

人の生涯

その中の
「四 知識と学問に対する姿勢 3 神様は知識を勧告しなかった」
に、

「一方向性です。回らないのです。知識、力、その次には,お金、経済…。経済というのは消耗するのです。経済というのは、お金というものは、必ず使うようになっているのです。お金がなぜ必要なのかといえば、私たちがそれを消耗させるためです。それを中心として、万物の代わりとなりうる消耗材料を必要とするのです。

 消耗したものは、どこへ行くか? 消耗して、それが回るのではありません。それも一方向性です。回らないのです。しかし、これらの力の中で、回りうる一つの力は何か? 愛の力は回るのです。その愛は一人で回ることはできないのです。」

とありました。

今の社会のお金は消耗するのみで回らない、と文先生はおっしゃっています。
そして、回るのは愛の力のみだとおっしゃっています。

このように、文先生は、経済問題の核心的要因を明確におっしゃっているのです。

そうしたら、経済問題の解決方法は簡単です。
すなわち、統一思想で物心一如と言っているように、
お金の流れを愛の流れと一致させればよいのです。

統一思想要綱(頭翼思想)-012-付録_1



posted by 若枝 at 18:17| Comment(0) | 創造本然の経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月19日

「平和は力によってのみ初めて達成」というのはほんとうか?

来日したペンス米副大統領が語った「平和は力によってのみ初めて達成」というのはほんとうでしょうか?

私は間違っていると思います。なぜなら、この世界は力で出来たのではないからです。神様から与えられた関係性によって出来たのです。平和はもとから神によって与えられているものです。

力でこの世界が出来たとするデカルトの機械論は間違っています。
ですから、平和も力で達成するとする考え方は間違っています。
これまでの人類は機械論という間違った世界観をもってきたので、このような間違った結論になってしまうのです。

人類の間違いを明確に指摘できるのは、統一原理をおいて他にありません。

しっかりと原理的観点に立たないと、世の中のどこが間違っているかがわからなくなってしまいます。
原理的観点にしっかりと立って、世の中のどこが間違っているかをしっかりと指摘していく必要があると思います。

「平和は力によってのみ初めて達成」ペンス氏 : 政治 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)



ラベル:安全保障
posted by 若枝 at 10:20| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月16日

今の神様のご心情、霊界に行かれた真のお父様のご心情

最近ずっと、神様のご心情を尋ね求めていました。
すると、先日、夢を見ました。

ある大切にしていた物が見当たらなくて、近くにいた人に「どこにやったの?」と言いながら、泣いている夢でした。

私は、これが今の神様のご心情であり、霊界に行かれた真のお父様のご心情であることを悟りました。

ご子女様方が真のお母様と一つになっていない今の状況は、私たちにとって呆然と立ち尽くすような状況ですが、私たち以上に、真のお父様が最も悲しまれていることを知りました。

思い起こせば、2009年以降、真のお父様はとても多くの涙を流されたと聞きました。
そのまま、神様によって霊界に召された真のお父様でした。

2010年に、真のお母様との最終一体をなして、完成、完結、完了の基準で、全体、全般、全権、全能の時代を奉献宣布され、2012年5月には「基元節はもう過ぎてしまった」と語ってくださいました。

2012年8月13日の「すべてを成した」というみ言は、「国家復帰、世界復帰のためのあらゆることをすべて成し遂げた」というみ言でした。

真のお母様が「国家復帰、世界復帰」とおっしゃっている理由は、ここにあるのだと思います。

せめて、真のお父様の涙をぬぐって差し上げる者となりたい、と私は思います。



posted by 若枝 at 20:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月03日

「真のお父様は原罪があって生まれ、真のお母様は原罪なく生まれた。」に思う、にいただいたコメントへのお返事

記事「真のお父様は原罪があって生まれ、真のお母様は原罪なく生まれた。」に思う

にコメントをいただきまして、これがとても重要な内容でしたので、返信を、コメントではなく、新規投稿にさせていただきました。

いただいたコメントは
「どう考えても無理があるでしょう。
原罪がある人が無原罪になれるなら、メシヤは必要ないという理屈になるでしょう。
原理講論から読み直さないとね。」
というものでした。


以下、返信です。

コメントありがとうございます。
ご指摘に従い、原理講論を読み直してみました。
すると、わかりましたことは、原罪のない真の父の摂理と、原罪のない真の母の摂理があったことでした。

まず、
「堕落人間がサタンを分立して、堕落以前の本然の人間として復帰するには、原罪を取り除かなければならない。ところで、この原罪は、人間が、その真の父母として来られるメシヤによって重生されるのでなければ、取り除くことはできないのである。」(緒論)

とありますから、堕落人間の原罪は真の父母によってしか取り除けません。
原罪清算よりも真の父母のほうが先でなければならない、ということです。

次に、
「イエスには原罪がない」(キリスト論)
「ところで、父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない。」(キリスト論)
「イエスは自ら神を中心とする実体的な三位一体をつくり、霊肉共に真の父母となることによって、堕落人間を霊肉共に重生させ、彼らによって原罪を清算させて、神を中心とする実体的な三位一体をつくらせるために再臨されるのである。」(キリスト論)

とありますから、
原罪のない真の父であるイエス様、その再臨である真のお父様、原罪のない真の母である真のお母様、真のお父様と真のお母様で真の父母、
というふうにならないと、堕落人間の原罪清算は不可能だということになると思います。



ラベル:原罪 再臨主
posted by 若枝 at 19:36| Comment(0) | 真のご父母様・メシヤ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする