2017年09月03日

私の内面世界 21  真のお父様は神様が保護することのできる理想の国で暮らしてから逝かれたか?

真のお父様は、

「皆様。私は、今、世の中にうらやむものがありません。堕落した世の中のものには、関心がない人です。“神様が保護することのできる理想の国で、死ぬべきではないのか? 私が、そのように生きていくことができなければ、私の生涯は、悲惨な生涯ではないだろうか? だから、死ぬ前に、その国を取り戻して、一日でもいいから、そこで暮らしてから逝かなければならない。”というのが、私の一生の願いです。」
(「神様の祖国と天一国王権時代」より)

と語られましたが、果たして、お父様は、一日でもそこに暮らしてから逝かれたのでしょうか。

ある人は、「いや、お父様が生きている間には、その国は取り戻せなかった。」とおっしゃるかもしれません。

ほとんどすべての人が、そうお思いになるかもしれません。その国を目で確かめることは出来ないからです。
しかし、ほんとにそうなのでしょうか?
もし、ほんとにそうだとしたら、お父様は願いを果たせずに逝かれたということなのでしょうか?
実際、お父様は願いを果たせずに逝かれたとお思いになっている方もたくさんいらっしゃると思います。


でも、私は、お父様はそこに暮らしてから逝かれた、と言うことが出来ます。
他には誰もそう言うことが出来なかったとしても、私は、そう言うことが出来ます。
世界中でただ一人でも、そう言うことができる人がいれば、それで十分以上のことではないでしょうか。
その一人がその国を取り戻したとすれば、すべての人が取り戻したのと同じだからです。
それゆえ、それで十分だと思います。


2012年、お父様が聖和される前に、私は、 「貨幣の統一原理的理解」という論文を記述して、教会に奉献しました。(上記リンクは第六版)

送信奉献したメールはこちら
添付ファイル:
 貨幣の創造原理的理解(第1版).doc
 貨幣の創造原理的理解.doc
 統一経済学 考.ppt


詳細は、「貨幣の統一原理的理解」編集手記: 統一教会にて

そこに書いてある内容が、お父様が「神様の祖国と天一国王権時代」のみ言の中でおっしゃっている「永遠の国家体制として残る」ものです。
この論文の中で明確にされた、経済社会における売買関係が二性性相の相対的関係であるというのは、その後の統一経済論の研究を通してみても、経済における根本原理であり、ここから統一経済論が展開されています。

従って、2012年に「貨幣の統一原理的理解」を記述したことによって、その理想の国を取り戻した、と私は言うことが出来るのです。

ですから、真のお父様は、その一生の願いを果たして、神様が保護することのできる理想の国で暮らしてから、霊界に行かれた、と言うことが出来ます。



posted by 若枝 at 22:51| Comment(0) | 私の内面世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月17日

私の内面世界 20

今日は、2017年7月17日です。

私にとっては、人生すべてを意味するほど記念すべき日です。

この内容を打ち明ける日は今日をおいて他にはないので、今日、記録としてここに残しておかなければならないと思います。


10年前の2007年7月17日、名門大学同窓会セミナーに参加した私たち日本食口120名は、当時真のご父母様が主管しておられた天正宮博物館での早朝訓読会に、幹部の皆様と一緒に参加させていただきました。

その日、ソウルで国際大会が開催されるとのことで、真のお父様はそちらに行かれるかもしれないとも聞いていましたが、そちらの大会は顯進様が主管され、天正宮の訓読会には真のお父様がおいでになられました。

その時間、私たちは真のお父様からとても愛されました。そのときの様子はビデオに撮られ、そのDVDを、私は今も持っています。

そのときに感じた内容は、以前ブログに書いたことがあります。

私の内面世界 11


この7月17日という日付は、実に重要な意味を持っています。

真のお父様が聖和されたのが天紀3年(2012年)の天暦7月17日でした。
黒カバーの天聖経の発行日が2003年7月17日、天一国経典天聖経の発行日は天一国元年(2013年)の天暦7月17日です。

なのですが、この7月17日という日は、その昔、ノアの箱舟がアララテ山にとどまった日なのです。

「箱舟は七月十七日にアララテの山にとどまった。」(創世記8章4節)


私は、この非常に重要な日に、真のご父母様と出会い、み旨の道を行く相続をさせていただいた、というふうに感じています。

それからの10年間は、そのときはまだ分かりませんでしたが、経済という未知の分野に果敢に飛び込んで、身もだえするような闘いをしてきました。

でも、この10年間で、原理的に整理できたと思います。

統一原理に基づく経済社会の打開策
神様の願いを果たしうる貨幣制度
今の経済の仕組みの根本的な矛盾

これからは、これを全人類に伝えていこうと思っています。
そうすれば、じきに、人類社会全体の経済が創造本然の経済となり、共生共栄共義主義社会を迎えることが出来るだろうと思っています。



ラベル:7月17日
posted by 若枝 at 08:40| Comment(0) | 私の内面世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月27日

私の内面世界 19

私が仕事をやめて、家庭で訓読はしてきましたけれども、それ以外の時間は何をしてきたのでしょう。

純粋に神様のためになること、人類にとって今一番必要なことと思って、やってきたことがあります。

それは、統一原理を現実世界に結びつけることです。

現実世界といっても、生活のことを言っているわけではありません。生活については信仰生活のみ言で十分に語られていますから、それ以上付け加えることはありません。

私が問題にしてきたのは、自然科学との関係、一般的な宗教との関係、そして、ようやく糸口が見えてきた政治・経済への展開の道でした。

創造目的学会というサークルで、何人かの仲間と共に、研究をしてきました。
http://pocs.seesaa.net/article/331560586.html


私たちがこの道を歩んでいるのは、信仰を持って自分が幸せになるためではありません。
人類が抱えるあらゆる問題を解決するためであり、その日を待ち望んできた神様の恨を解くためです。

それで、現在人類が持っている叡智と呼ばれるすべてがどのように統一原理と結びつくのかという問題に対して、結論を得ておかなければならないと思いました。



posted by 若枝 at 16:47| Comment(0) | 私の内面世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月19日

私の内面世界 18 私の相対者

私は、相対者(妻)に、心から感謝しています。

2002年に仕事をやめると公言してからというものは、私はほとんど稼いで来ない夫になってしまいました。

それはもちろん、一心一体一念一核一和というみ言を受けてのことであり、純粋な信仰が動機ではありましたけれども、傍から見ていてそれをそうとはっきりと理解することは難しかったでしょうし、たとえ理解しても家計のことなど考えたらとうてい受け入れられない話でした。
信仰だとしても稼いで来たってよさそうなものなのに、それもしないのですから、わけがわからないような状況でした。

しかもそれがずっと何年も続いたのですから。

確かに霊的にはとても導かれてはいました。私たちは何とか飢え死にせずに過ごしてきました。しかし、不安な気持ちはいつもありました。

それでも、相対者はついてきてくれました。


2007年、挙句の果てに、2000年の火事で下りた火災保険で建て直した家、神様から授かったと思っていたその相対者の実家までも、売って手放すことになっても、それでもついてきてくれたのです。

それはもちろん、み言に基づいてのことではあります。

しかし、実家を売り飛ばされて失って、どうしてこれが我慢できることだったでしょうか。
それでも乗り越えてくれたというのは、神様を見るような思いです。

私がいないとき、義母の兄弟姉妹が、家を売ることに反対を言いに来たそうです。
でも、相対者と義母は、頑として意見を受け付けなかったそうです。

これがなかったら、わが家庭はどうなっていたことでしょう。
相対者と義母が私と一体化してくれたので、この難局を乗り越えることが出来ました。


私は、相対者にほんとうに心から感謝しています。
家を失い、すべてを失っても、この一心一体一念の事実は、永遠に残る天への捧げ物であると思います。

私にとってはこれが宝です。
永遠の宝物です。


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ラベル:統一教会 祝福
posted by 若枝 at 14:52| Comment(2) | 私の内面世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月01日

私の内面世界 17

「サタンがもっとも恐ろしがるものは宣告であり、所有権のある自分が暮している家を放棄すること。」というみ言から察しますに、

所有権のある今実際に住んでいる家を放棄することは、サタンが築き上げた文化との決別であり、
サタンに対して「私はお前とは一切関係ない」と宣告することになるのだと思います。

血統的には祝福によってサタンと決別していますけれども、私たちの生活習慣はこれまでと何ら変わりがありません。こういう私たちにおいて、サタンがもっとも恐ろしがる行為が家を放棄して宣告することだ、とお父様はおっしゃっているのだと思います。


これを実践出来たのはとてもよかったことですが、この後の歩みというものは、これまでとは違ったおもむきがありました。

サタンもありとあらゆる手を使って私を落とそうとしてきていたのかもしれません。

実際、家を売って捧げた後、教会を離れてしまった人も多くいるようです。そういう人たちの気持ちも味わいました。その気持ちをそのままここに書くわけにはいかないでしょうけれど、例えば、持ち家に住んでいる人から献金の協力を求められたらどういう気持ちになるか、思い浮かべてもらえば分かっていただけるかもしれません。


サタンの試練はそれだけではなかったようです。

教会の中の、私よりずっと上のほうの人たちの足りなさや不祥事を色々と見聞きさせられました。これもここに書くわけにはいかないですが。

でも、思ったことは、こういった不祥事が、その人たちの問題であって、真のご父母様の問題でもないし、み言の問題でもない、ということでした。

絶対に間違いがあろうはずがない人たちでも一歩間違えばわからないというのが実際のところだったわけですが、サタンは、これ見よがしにこれを私に見せつけました。

私も、サタンに翻弄されて、つまずきそうになりましたが、最近ようやく平静さを取り戻せたように思います。

最後は、感謝で、内外ともにすべてを捧げれば、これですべては終えられます。
そうして新しい出発を、今度はほんとに新しい出発が出来るように思います。


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ラベル:統一教会
posted by 若枝 at 18:37| Comment(0) | 私の内面世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月28日

私の内面世界 16

神様がこの世界を主管することが出来るようになるためには、人間が神様と完全に一つとなる人間の5%の責任分担が果たされなければならないということが、私たちの信仰生活の目的でもあります。

私が、家を売却した理由にもそういうところがありました。

日本がいよいよ母の国になる出産期間を迎えたという2007年の解産路程において、家を売ってということを考え始めていました。

海外に宣教に出るということも考えていましたし、経済的なことも確かにありましたが、解産というこれ以上ない路程において捧げる最高の条件として家の売却ということが考えられました。

それで、家族にも相談して、親たちの承諾ももらっていたのです。親たちもこれまで訓読会をしてきた甲斐があって、すぐに理解してくれました。

しかし、それでも、まだ踏ん切りがつかないでいました。家族をあまりにも苦労させるし、自分にとってもとてもつらいことでしたから。総会長のみ言を聞いて、家を売ることに意味があるとおぼろげには感じていましたが、誰もそれを言う人はいないし、自分だけがそう判断することはとても勇気のいることでした。


そんなとき、天正宮で語られるお父様のみ言のある部分に目が留まりました。

「サタンがもっとも恐ろしがるものは宣告であり、所有権のある自分が暮している家を放棄すること。」

私にとってはまさに青天のへきれきでした。

当時、宣教師あてにメールでニュースレターが送られてきていたのです。そこにはお父様が天正宮で語られるみ言が詳細に書かれていました。その771号にこのみ言があったのです。

これによって私の心は定まりました。相対者にもこれを見せて、迷いは完全に吹き飛びました。


私が家を売った第一の理由は、実は、このみ言にあります。

私は、家を売ることに迷いがあったときにこのみ言を送ってくださったお父様の愛を、深く深く感じています。


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ラベル:統一教会 み言
posted by 若枝 at 12:38| Comment(0) | 私の内面世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月26日

私の内面世界 15

信仰の飛躍があって、訓読生活を徹底してするようになってから、いつも、み言と自分の生活が一致しているかどうかを確認しながら生活するようになりました。

あるとき、実の母親がこちらに引っ越してくることになって、近くのケアハウスを探していた時がありました。こちらではすでに相対者の両親と同居していましたので、当然、一緒に暮らすことは出来ないと思っていたからです。

ところが、そんな時、私は、ファミリーのみ言を読んでいて、
「孝子と孝女の夫婦になれば、自分の母親と義理の母親と、一つの家で暮らさなければなりません。」
というみ言に出くわしたのです。(ファミリー2003年2月号)

私は、あっけに取られました。
お父様は遠く離れていても私たちの生活がお分かりになるのだろうかと思いました。

私は、母にこのみ言を直接見せて、義理の両親のいるわが家に引っ越してきてもらうことにしました。


その後、葛藤がなかったわけがありません。ものすごいトラブルの連続でした。
でも、歴史的な蕩減をさせていただいているということを感じていました。

訓読会が命綱でした。もし訓読会をしていなかったら、わが家庭は空中分解していたことでしょう。そういう日々を過ごしました。


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posted by 若枝 at 18:17| Comment(0) | 私の内面世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月18日

私の内面世界 14

2001年の神様王権即位式のころ信仰の飛躍があったと書きましたが、そのときの様子をもう少し詳しく書いてみたいと思います。

あのころ私は、「どうして文先生は世の中の人々に受け入れられないんだろうか。」と考えていました。

「それは、世の中の人々が神様の存在を分からないでいるからだ。
と言うことは、神様の存在を証明出来れば、人々は文先生を受け入れやすくなるだろう。
何とか神様の存在を証明したいものだ。」

と私は考えていました。
それでずっと思索していました。

あるとき、部屋の中で体操しながら窓の外の花をじっと見つめて考え込んでいると、花が存在するためにはおしべとめしべが絶対に必要なことに気がつきました。

絶対に、というのは、どちらか片方がなかったら、どちらも存在できない、花自体が存在していない、ということです。
したがって、その花が存在しているということは、おしべとめしべは最初から揃って存在していたということです。
しかし、そういうことがあり得るでしょうか?

おしべにしても、めしべにしても、花の種類ごとに違います。その花のめしべにはその花のおしべでないと次の世代の種を作ることは出来ないのです。

目でみただけではわからないその違いがあって、人間でも作ることが出来ないのに、揃っているというのは、いったいどういうことなのだろうか?
私は、直感的に、これは、これを創造した神様の存在を証明しているということが分かりました。


私はとても感動して、何度も何度もこれを考えました。まわりを見渡すと、すべての生き物、すべての存在物は、どれとして例外がないことを実感しました。この世界はすべて神様がおつくりになったものだという、とても深い感動が湧いてきました。


この感動は、それ以前の霊的な神様との出会いとは少し深さが異なりました。それまでも、神様の愛を体感する聖霊体験などは何度かありましたけれども、それは人にはうまく説明できないものでしたし、主観的なものと言われればそうとしか言いようのないものでした。いわゆる信仰でした。

しかし、このたび発見したものは、そういった感性のような感動にとどまらず、明確に説明の出来るもので、これまでとはまったく違っていました。
また、同時に、私は、これは二性性相の話であると思いました。

それで、もう一度、原理講論の二性性相のところを読み直してみたのです。

すると、第一章 創造原理の一番最初のほうに、
「存在しているものは、いかなるものであっても、それ自体の内においてばかりでなく、他の存在との間にも、陽性と陰性の二性性相の相対的関係を結ぶことによって、初めて存在するようになるのである。」
と書いてありました。

私は、この文章の最後の部分の「初めて」というところを読んで、ものすごく感動しました。原理講論には私が今回気づいたことがすでに書いてあったからです。私にとっては再発見でした。今までまったく気がつきませんでした。

私には、原理講論が、天地を開闢する、天が人類に与えた最高の宝物であることがわかりました。


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ラベル:統一教会
posted by 若枝 at 00:15| Comment(0) | 私の内面世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月14日

私の内面世界 13

父の勤務先であったNHKで、一昨年と昨年の暮れ「坂の上の雲」というドラマが放映されましたが、
この主題歌を聞くと、私には先祖からのメッセージのように感じられます。

坂の上に見える雲は真の父母を表し、あるいは、神様の創造理想を表していて、
日露戦争当時の先祖たちもこの理想を目指して必死に歩んでいた、
その思いが今の私たちに託されているという感じです。

YouTube - Stand Alone 『坂の上の雲』の主題歌



どうしてそんなに強く感じるかと言いますと、
この小説に登場してくる田村怡与造(いよぞう)という人は、
私の曽祖伯父(曽祖父の兄)ですが、明治の軍人で、
日露戦争の戦略を練り、開戦前夜に亡くなって、その後を児玉源太郎が引き継いだ人物です。

私には、この歌の歌詞が怡与造の言葉に感じられます。特に最後のフレーズを聞くと、我知らず涙がこみ上げてきます。
開戦前夜に他界した無念さ、地上天国を実現したかった思い。それを子孫に託す確信にも似た信念。

「わたしは信じる 新たな時がめぐる 凛として旅立つ 一朶の雲を目指し」


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ラベル:先祖
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2011年02月12日

私の内面世界 12

昨年から、真のご父母様は、「私たちはすでに神様の直接主管圏時代に進入している」と語られていますが、
私はこれを聞いて非常に嬉しく思っています。

私たちがみ旨の道を歩んできた理由を一言で言うとすれば、まさにこれに尽きるでしょう。

人間始祖の堕落によって神様と人間の間に悪魔が入ってきてしまって人類が今まで完成できずにいたという困難な問題を、私たちは、統一原理によって初めて知りました。

そして、これをいかにして解決するかが、人生最大の課題でした。


仏教やキリスト教の教えを見ても、これが間違いだと言うことが出来ません。むしろ、これがそのとおりだと確認せざるを得ません。

そして、これを解決しなければいくら人間が努力しても本当に幸せな世界はやってこないということを、いつも感じさせられます。

政治で解決できるかと言ったら出来ない問題です。いまの政治が武力を使っていることを見ても明らかでしょう。矛盾だらけの人類の根本の問題は、人間の堕落にあるのです。堕落によって無知に陥ったところに最大の問題があるのです。

どんなに頭脳明晰な政治学者が国際関係を論じても、武力による均衡を当然のこととしているうちは無知だと言わざるを得ないでしょう。


こういう人類にとって、有史以来さまよいながら求め続けてきた最終目的地がまさに神様の直接主管圏時代だと言えます。

これが自分が地上に生きているうちに到来したというのは実に幸福なことだと思います。


私は、これを聞いて、2002年からの自分の歩みは決して無駄ではなかったと思いました。
なぜなら、神様のみ旨は真のご父母様だけでは決して完成させることは出来ない、子女の責任分担が果たされなければ完了させることが出来ないということを原理を通して知っていたからです。
そう思って、いかにしたら子女の責任分担を果たすことが出来るかと思って、歩んできたからです。


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ラベル:統一教会
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2011年01月25日

私の内面世界 11

人類と神様の為になることだけを考えて2002年から歩んで来ましたが、
一番つらいときを越えたのが2006年から2007年でした。

神様のためになる仕事というのはお金にならないなあというのが実感で、世の中では人の為、それも人々の生活の為に働いて報酬をもらいますが、真っ正直に神様の為にと思ってすることには誰も報酬をくれません。

それで生活は厳しくなる一方でした。

2006年末、もうどうしようもなくなっていたところに、ちょうど清平で、新しい出発のための修練会というのが開催されて、これに家族で参加して、これから普通一般の生活に戻ろうと思いますがどうでしょうかと祈ってみると、これが許されたような感じでした。

それで2007年から、不本意ではありますけれども、会社に勤めるようになりました。

ところが、その7月、お父様からみ言を頂く機会があって、そのときお父様から受けた波動は、これとはまったく違ったものでした。

お父様は、「真の愛を完成させなさい。」と、おっしゃいました。

お父様は、「幸せってなんだろう」を一緒に歌いながら、「どんなに高く飛ぼうともお空の果ては遠い」と力強く歌いながら、高く天を指差して、本当は高い理想を追い求めていきたいという、深い私たちの本心の声に答えてくださって、これをはっきりと言ってくださいました。

私にとってこれ以上うれしかった思い出はありません。
私は、再び、会社を辞めて、歩み始めました。

私にこのように本当に行くべき道を示してくださったのはお父様だけです。


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posted by 若枝 at 22:53| Comment(1) | 私の内面世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月24日

私の内面世界 10 供え物は誰のもの


敬礼をしていて、ふと感じたことがあります。

神様に敬礼をして、大きなかつおを一匹祭壇に供えたときに、このかつおはもともと誰のものだっただろうかと。

自分で釣ってきたんだから自分のものと思うかもしれませんが、かつおを海に泳がせ、ここまで大きく育てておいてくれたのは神様ですから、かつおはもともと神様のものです。

私はただそれを釣ってきて祭壇に供えただけです。

神様は、私が供える供え物さえあらかじめ創っておいてくださっているんだなあと感じました。

私に供え物をさせてくださって、心情を供えさせてくださるのが、神様の愛だったんだなあと思いました。


日本をエバ国家として、豊かにしてくれたのも、神様です。

エバ国家として勝利する、という意味は、
私たちのものを天に捧げる、という意味ではないと、私は思います。

私たちのものと考えているうちはエバとして勝利したとは言えないと思うのです。

神様から預かっていたものを神様の為、人類の為に用いる、エバとして当然の心情圏に立ってこそ、初めて勝利でしょう。

私たちが捧げるもの、私たちが所有している一切合財すべてのものは、もともと神様のものです。


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ラベル:統一教会
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2010年12月07日

私の内面世界 9 み言と献金

統一教会は、国を生かす教会です。
ほんとうに国が生きるためには、国が神様を中心として世界のために生きなければならない。
これを国に代わって成しているのが統一教会であると言えます。

ですから、献金は教会のためではなく、神様の目的のため、世界のために使われています。


しかし、献金を捧げる側も、これを通して、神様を中心として生まれ変わるために、このようなことをしています。

すなわち、献金を通して、捧げる側も受ける側も神様を中心とした創造本然の世界になっていくことが出来るのです。

献金は、み言に基づいてなされるべきだと、私は思います。


よく、み言はみ言、摂理は摂理、と分けて考える人がいますが、
これだと、永遠に勝利は出来ません。
いくら献金しても、生まれ変われませんから。


み言に基づいて、というと、訓読していてもお金にならないと言う人がいるのですが、
これは、み言をよく読んでいないか、よく理解出来ていないだけです。
いつの間にか、お金を目的としてしまって、み言とは別のところにいることになります。

み言をよく読めば、どのように献金するべきか、書いてあります。

しかし、それは、普通の人にとってはとても受け入れがたい内容であるがゆえに、
そこまでは出来ない・・・となってしまうのです。
イエス様の前に現れた青年のように。

それで、お金だけならもう少し気が楽なので、
そのレベルで苦労しようとするのですが、
これだと、永遠に勝利はありません。

ですから、み言の通りに行くしか、道はありません。となれば、人生に革命を起こすしかないです。


そういう心情がないことはないからこそ、日本はほんとうに神様の心情がわかる真の母の国だと言えるのだと思います。

私は、みんな神様の真の子女として、創造本然の人間として、人生を生きていけるように、と願っています。


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ラベル:統一教会 み言
posted by 若枝 at 09:55| Comment(0) | 私の内面世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月23日

私の内面世界 8

私にとっての一番の試練は何かというと、神様の愛の対象の位置を決して離れないということでした。

仕事をせずに収入が途絶えてくると、このままでは死んでしまうかもしれないという恐怖心に駆られて、どうしても神様をそっちのけにして自分から動いてしまいます。それで神様の愛の対象の位置から離れてしまうことになります。

これを克服することが私にとっては一番大きな試練でした。


お父様は、これからは為に生きることだけを考えていけばよい、とおっしゃいました。

しかし、どうしても自分の生命を考えてしまうのです。

仕事をしたいというときに、純粋に為に生きる心情であるならば問題なく一番よいのですが、半分は自分の生命を考えています。
これだと仕事を始めることがかえって自分の位置を離れることになってしまいます。

訓読して神様の愛を学ぶことはできますけれども、ほんとにそのごとくに生きることが出来るのかという内的なたたかいがありました。

神様は私たちに必要なものはすべてご存知であると、イエス様はおっしゃいました。
お父様も、死なんとするものは生きるとおっしゃって、自分を捨てて神様の愛の対象になりなさいとおっしゃいました。

私たちにいのちを与えてくださった天のお父様。
天のお父様に対する感謝の気持ちは愛の対象の位置にずっと自分がいることで表されると思いました。


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posted by 若枝 at 10:20| Comment(0) | 私の内面世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月22日

私の内面世界 7


仕事をやめて、神様の骨髄から出発する訓読生活が始まってから、どのくらい経ったでしょうか。

家族で一緒に訓読することを定着させるまでには実に様々な苦労がありましたけれども、いつもお父様のみ言に導かれるようにして道が切り開かれていきました。

聖歌に「とわの愛と恵みの声」とありますが、まさにそのとおりです。
神様の声によって行くべき道が示されるという実感がありました。


そうしているうち、あるとき、777の先輩から突然電話がかかって来たときはとても驚きました。
その方は、それまでまったく知らない方でしたが、ホームページで私のことをお知りになったということで、仏教の研究をしてみないかという話でした。

それで、私は導かれるままに、仏教、その中でも特に弘法大師空海を中心として、研究をいたしました。

あとから振り返ってみてあのころは宗教を研究するときだったんだなと思います。
双合十勝日が宣布されるまでの期間でした。
聖人たちがこの地に伝えたいことがあったのを感じました。

例えば、即身成仏の意味を、私は学びました。
即身成仏というのは、今この場で一瞬にして仏に成れるということで、そのためには法身仏すなわち神様と一体となることだというのが、この教えの要です。
とても原理的なことが説かれているのに驚きました。

このように、真のご父母様の到来とともにこれまでの聖人たちが霊界から伝えたいことを、私はたくさん受け止めさせていただきました。


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ラベル:信仰告白
posted by 若枝 at 10:35| Comment(0) | 私の内面世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月13日

私の内面世界 6

訓読生活においては、多くの新しい発見がありましたが、その中で一番大きかったのは、

神様はすべての人を愛したい

のだということでした。

神様の心情が伝わってくるときは、いつもこういう心情でした。

「お前には私の気持ちがわかるのか。私は全ての人を愛したいのだ。」

と神様は語りかけて来られます。

あるとき、ホームセンターに買い物をしに行ったとき、歩いていて突然、神様の心情が伝わってきたことがありました。
そういうときは、人知れず涙が溢れてきます。そういう体験をたくさんしました。


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ラベル:信仰告白
posted by 若枝 at 10:54| Comment(0) | 私の内面世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月09日

私の内面世界 5


聖火式に導かれるようにして、私は、いったん、自分の生活の要素をすべてリセットして、新たに出発することを決断しました。

これまでの自分の生活が、神様の骨髄から出発していると言えず、生半可になっていて、このまま行ったのでは神様の創造目的を完成させたと言い切れるようにはなれないと思ったからです。

お父様は一心一体一念一核一和とおっしゃられていますが、神様を原点として最初の一点から拡大していく手続きを取る必要性を感じました。

神様を中心として、まず心と体が一つとなり、夫婦が一つとなり、親子が一つとなり、氏族が一つとなって、外に展開していきます。

神様の骨髄から出発するためには、いったんすべてをやめて原点に返る必要がありました。

それで、私は、生きていく上で一番必要な仕事をやめました。
そして、まず訓読に専念することにしました。

夫婦で訓読し、子供と訓読し、両親と訓読が出来るようになるまで、仕事はしないことを決意しました。


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ラベル:信仰告白
posted by 若枝 at 09:30| Comment(0) | 私の内面世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月06日

私の内面世界 4

私はこれからの人生を神様の実子として生きたいと思いました。

実子として生きられるのならば、それが一日でもいい、と思いました。
実子でない日々を100年過ごすよりも、実子である日を1日でも過ごしたほうが、たとえその1日だけで死んだとしても、ずっと幸せであると思いました。


そして、今までの自分の生活をこのまま続けても、神様の実子だと言うには不十分であることを感じました。
神様の骨髄に入らなければならない、神様の骨髄に入ってそこから出発しなければならない、と思いました。

そして、どうしたらそれが出来るだろうかと祈りました。

そうして得た答えが、訓読生活でした。

神様がいらっしゃって、すべてをおつくりになり、真のご父母様がいらっしゃって、私にいのちを与えてくださいました。
私にいのちが与えられて一番最初に天が私に与えるものがみ言です。
そのみ言を受ける時間が訓読の時間です。

神様の骨髄の中で生を出発する時間が訓読の時間であることがわかりました。

まさに自分を神様の実子にしてくれるのが訓読生活です。
訓読生活にはこれだけの意味があることがわかりました。

ということは、生きている中で、訓読の時間以上に貴重な時間はありません。
他のすべてのことはその後です。

食事の時間、仕事の時間、寝る時間・・・。
これらすべてのことは、訓読したみ言によって組み立て直されなければならないということがわかりました。


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posted by 若枝 at 15:35| Comment(0) | 私の内面世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月03日

私の内面世界 3

もう一つ書いておかなければならないことがありました。

2002年1月、私は、8日修に参加させていただきました。
その最後の日はちょうど神様王権即位式1周年記念日と重なり、我々修練生も式典に参加させていただきました。

あのとき、供え物を召し上がるご父母様を見ながら、神様がおつくりになった食物を神様の息子が食される愛の瞬間を感じて、感動して涙がこみ上げてきたのを覚えています。

限りなく神様が喜ばれているのを感じました。


記念礼拝のみ言の中で、お父様は、

「これからは為に生きることだけを考えていけばよい。」

ということを語られました。


このみ言は、最も根本的なみ言で、すべての行動の基本指針であると思います。

なぜなら、神様がこの世界をおつくりになったのが、この「為に生きる愛」によっておつくりになりましたから、人間も、神様の息子娘として、為に生きる愛のみで生きていくのが創造本然の姿だと言えるだろうからです。

実子の人生とは、まさに、為に生きることだけを考えて生きていく人生ということになると思いました。


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posted by 若枝 at 10:11| Comment(0) | 私の内面世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月01日

私の内面世界 2

もし、生活基盤は普通の人と同じところにあって、献金だけを天に捧げる生活をしていたならば、それは、養子か僕の生活でしかないように思いました。

実子ならば、生活基盤も天とともにあるはずです。

お金だけを神様のところに送って、自分たちはこの世にいるのでいいのだろうか、と思いました。

み言には、私たちも神様の息子娘になるべきだと書いてあります。
養子や僕ではありません。
いままでの人類歴史においては養子や僕にしかなれませんでしたけれども、我々は違うはずです。
実子の名分を果たすべきであるとみ言には書いてあります。

実子の名分はご父母様だけが果たせばよいのでしょうか?
私たちにはそれは無理で、ご父母様がそれを果たすのをサポートするのが私たちの役割なのでしょうか?
み言にはそう書いてあるでしょうか。
み言をいくら読んでみても、そうは書いてありません。

私たちも実子になるべきです。
でなければ、神様の創造理想は成されない、と思いました。

いまからの人生を、僕の人生を行くのか、実子の人生を行くのか、と考えました。
実子の人生はきつくて死ぬかもしれないけれど、そちらのほうが悔いが残らないのではないだろうか、と思いました。


2002年のあのころ、天上地上和合統一決意大会・聖火式というのがありました。

あのとき、お盆の上に自分の名刺か何かを載せて焼くということをしましたが、あの意味は、言うまでも無く、これまでの自分の人生をすべて焼いて捨てて新しく出発するということだったと思います。

私はこれに導かれるようにして、自分にとっては大きな、一つの決断をしました。


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posted by 若枝 at 13:27| Comment(0) | 私の内面世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする