2013年02月20日

祖父方の曽祖父 2

基元節を前にして、曽祖父の名前をインターネットで見つけました。

いままで、どういう立場で亡くなったのか、分からずにいたのですが、
不思議なことに、偶然見つけることが出来ました。

まったく関係のない方の手記の中にあったのですが、
(戦友だったわけですからまったく関係がなかったわけではないですが)
騎兵第一旅団に所属していたようです。

曽祖父の名前が中隊長として出てきています。

壹岐萬里手記
http://(いまはリンクが外れています)hyuga.rakurakuhp.net/i_593784.htm

「四月騎兵第一旅団動員下令あり動員計画に基すき、聯隊を應召者を配合して四ケ中隊に編成し、別に補充隊の編成を了す。旅団は新たに増加せられたる機関砲隊(野砲の如く車両に架設せるものにして六門編成のホツチギス機関砲なり)を加え左の編成なりき。
旅団長少将   秋山好古     副官少佐   吉利梯輔     第三小隊
 副官大尉   中屋新吉     旗手              第四小隊
 副官中尉    栗原幸衛      第一中隊長大尉
 騎兵第十三聯隊長           第一小隊
 聯隊附大佐   田村久井       第二小隊
 第二中隊大尉 米川光顕  第三中隊大尉 村上正  第四中隊大尉
   第一小隊       第一小隊        第一小隊
   第二小隊       第二小隊        第二小隊
   第三小隊       第三小隊        第三小隊
   第四小隊       第四小隊        第四小隊 
 騎兵第十四聯隊長大佐 豊辺新作 
  聯隊附  少佐 長谷川戌吉   第三小隊長小尉中路平吉   機関砲隊長大尉 鈴木文次郎
  副官   大尉 加納秀一    第四小隊長中尉壱岐萬里    第一小隊長中尉楠木平助 
  旗手 小尉 中島顕蔵  第三中隊長 大尉 森田猛雄  第二小隊長小尉 今仁一匡
 第一中隊長 大尉 小畑豊之助   第一小隊長中尉 林 八郎   第三小隊長中尉 原 逸朗
  第一小隊長  中尉 清岡真彦    第二小隊長
  第二小隊長  小尉 相賀寅甫    第三小隊長   
  第三小隊長  小尉         第四小隊長       
  第四小隊長  中尉 吉岡常典   第四中隊長 大尉 土屋 篤
 第二中隊長   大尉 鈴田正三    第一小隊長 
  第一小隊長  中尉 翁良雄     第二小隊長
         (後に田村馬造)   第三小隊長
  第二小隊長  小尉(後に中山憲信) 第四小隊長中尉 郡山嘉内」


それにしても、祖母方の曽祖父である田村守衛さんは、この騎兵第一旅団の第7代旅団長でしたから、娘を嫁がせた動機には何かもっと深いものがあったのかもしれません。

そういえば、私の名前には義の字が使われているのですが、父にどうしてこの字を使ったのかを聞いたことがありました。
父は、何となくその字が思い浮かんだ、と言っていたのですが、私は、田村家の家系図を見てとても驚きました。守衛さんのお父さんや息子さんたちにはすべて義の字が使われていたのです。

私はこの義の字は田村家からもらったと思いました。



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2013年02月18日

子供のころを振り返って

普段人には話せないような、昔の自分の生い立ちを綴らせてもらいました。

基元節を迎える前に、神様にご報告したかったのと、子供たちに残しておきたい気持ちもありました。

今思えば、神様の訓練であり、人生を圧縮して考えさせてもらった期間でもあったと思います。
そんなに細かくは書きませんでしたが、書けばほんとに読むのがつらいようなこともたくさんありました。今思い出しても、涙が溢れてくるくらい、私の心の中には、過去のつらい思い出が詰まっています。

しかし、それは同時に、人生を考える上での糧ともなっています。
私よりももっとつらい思いをしてきた人もたくさんいることでしょう。
神様はそういう私たちの心のうちをすべてご存知であることを、私は真のご父母様を通して知りました。

ですから、今後世界がどうなったとしても、神様の私たちを愛する愛は変わりませんし、そういう意味で、神様の愛が世界に満ちる真なる神様の御旨は必ず成就するでしょう。

つらい人生を送ってきた自分には、ご父母様のみ言の背後にある深い愛の心情が余計によく分かるような気がします。

ご父母様は人類すべてを愛しておられます。
人類解放の道を行こうとするので、難しい道を行かなければなりませんが、それはご父母様の愛が本物であるからです。

そして、それは必ず勝利します。
天の父母様、真のご父母様の真の愛によって世界が再創造されるようになるでしょう。


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2013年02月16日

中学時代の私

私は、小学校6年生のときに受験勉強をして、国立市にある私立の中高一貫校に入りました。
家のほうは、ちょうど6年になったときに八王子に引っ越して、1年間は府中まで電車で通っていました。

当時はまだあまり中学受験など一般的ではなかったころで、通った塾はバラック小屋をかき集めたような感じのものでした。先生の声が非常に大きく、教室のぼろさとあいまって受験の厳しさを物語っていました。
私は、小学生であるにもかかわらず、塾が9時に終わると府中から八王子までを電車で帰らなければなりませんでした。

両親は、私の受験勉強となると停戦協定があるらしく、小学校6年のときには、父と母の両方から一生懸命支えられた思い出があります。
そんなふうにして、私は無事に受験に合格し、私立中学に入りました。


中学でも成績は優秀なほうでしたが、中学2年になると、一人暮らしを経験しました。
父が転勤でしばらく函館に行ってしまったのと、
弟の中学受験で、母は府中にアパートを借りて専念するということで、
私は八王子の家に一人ぼっちになってしまいました。

一人暮らしは、寂しいというのと、自由気ままというのが入り混じったものでした。
毎晩テレビで映画を見られるのはよかったですが、
近所の大衆食堂に一人で晩飯を食べに行くのはちょっと寂しかったように思います。

しかし、私は中3のときには生徒会長を務めました。

今振り返れば、よくぞ、ぐれなかったと思います。

先祖に守られていたのだと思います。


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2013年02月12日

幼少期の私

私は、昭和37年に、熊本市の慈恵病院で生まれました。
慈恵病院はキリスト教系の病院で、産婆さんは修道女さんだったそうです。

その後、父の転勤で宮崎に移り、そこで弟が生まれて、私が2歳のときに東京の府中市に引っ越してきました。

父と母は私が1歳のころからすれ違いが始まっていたようで、
私の幼少期は、寂しい思い出がとても多いです。

しかし、霊界から守られてもいたように思います。

幼稚園もやはりキリスト教系の幼稚園で、
お遊戯発表会では東方の三博士の役をやったのを覚えています。

小学校でも、自分で言うのもなんですが、とても優秀な子だったと思います。
勉学だけでなく、3年から6年までずっと学級委員長を務めたりして、友達からの信頼も厚かったようです。

外ではとても優秀で人気もありましたが、家に帰るととても寂しくとても人には話せないような世界に住んでいました。

「人は悲しみが 多いほど 人には優しく 出来るのだから」と歌う歌がありますが、
そのとおりの人生でした。



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2013年02月11日

父と母

私の父と母は、熊本高校で同級生でした。

母は、女だてらに生徒会長を務めるような利発な女性でしたが、末娘で、実は、あまり家庭向きの女性ではありませんでした。

一方、父は、母親を早くに亡くして、母親の愛情というものをあまりよく知らずに育ちました。

父は、母が生徒会長などをしているのを見て、頼りになる女性だと思ったのでしょう。
どうしても結婚してほしいと願ったそうです。

しかし、結婚してみると、父が期待したような感じにはならなかったようです。

それで、我が家では、夫婦喧嘩が絶えませんでした。


私は、幼いころから、両親が喧嘩するのを見て聞いて育ちました。
母が家を飛び出していくこともしょっちゅうでした。
飛び出していった母を捜して、父が私と私よりさらに幼い弟を車に乗せて、夜中の町を走り回った記憶もあります。

逆に、父が家に入ってこないように、ドアに鍵をかけて、ドアが揺れたらすぐにわかるようにかなづちを立て掛けて、母と弟と息を殺していたこともありました。


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2013年01月26日

祖父

私が祖父と初めて会ったのは、祖父の葬式で、祖父の死に顔を見たときでした。

父と祖父とはずっと断絶状態で、私は一度も祖父のところへ連れて行ってもらったことがありませんでした。

祖父は、埼玉県桶川の小さな団地で生涯を終えたのですが、生前は、東大を出たあと、川崎航空機で飛燕という戦闘機の尾翼の設計をしていたそうです。
終戦後、故郷の熊本に帰り、熊本市の交通局長も務めたことがあるそうです。

田村家から嫁いだ祖母は、父を産んで間もなく亡くなってしまいました。その死因について、祖父は、かわいそうなことをしたとだけしか語らなかったそうです。
私にとっては、入教当時、この祖母の供養が一番大きな課題でした。

祖父は、祖母が亡くなってからしばらくは独身でいたのですが、生活面で不便なことも多く、近所に住んでいる女性を後妻に迎えました。
ところが、父はこの継母とうまくいかず、母親に育てられた思い出がなく育ってきました。
それで、大人になってからはずっと断絶状態だったのです。

しかし、この後妻さんは無教会派のクリスチャンでした。祖父はこの後妻さんから伝道されて、晩年はクリスチャンになりました。
「ゲーテ『ファウスト』と聖書」という本を丸善出版から出版しています。

祖父の死に顔をまじまじと見ながら、どうして一度も連れて来てくれなかったのだろう、一度でいいから話がしたかった、と思いました。

祖父が亡くなってから間もなくして、私は統一教会に伝道されました。


タグ:先祖
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2013年01月12日

曾祖母

若いころに夫を戦地で亡くしてから、(祖父方の)曾祖母はどんな人生を歩んで来られたのだろうか、と思います。

母一人子一人の人生で、気丈に生きて来られたのだろうと思います。
息子(私の祖父)を東大にも入れました。
しかし、心の奥にしまいこんだ悲しみは消え去ることはなかったろうと思います。

祖父方の曽祖父と祖母方の曽祖父は、陸軍大学校時代の同期だったと聞きました。
親友だったのでしょう。
それで、祖母方の曽祖父は、早くに亡くなった親友のところへ娘を嫁がせたのだろうと思います。

しかし、曾祖母は複雑な気持ちだったに違いありません。
「うちの家系は損な家系だ」とこぼしていたそうです。

曽祖父は、敵の偵察に誰も行く者がいないのを見て、「よし、俺が行く」と言って出て行って、敵の銃弾に倒れたそうです。

それを損で終わらせないためにも頑張らなければならないと思います。



タグ:先祖
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2013年01月05日

祖父方の曽祖父

私は小さいころから霊界があることを確信していましたが、
それは霊的な現象が身近なところに起きていたからです。

そんなに大したことではありませんが、
たまに、家の中にいて、水が落ちてくることがありました。

家の中の、水気のない居間にいて、手の甲に水がポトッと落ちてくるのです。

霊界にいる先祖が何かを言いたいんだなということを直感していました。


私の祖父方の曽祖父は、29歳のとき、戦地で亡くなりました。
この道に導かれて、先祖供養をするために除籍謄本を取って、そんなに若くして亡くなったのだということに初めて気がつきました。
そして、謄本を見ているうちに、もっと不思議なことに気がついたのです。

曽祖父の命日と祖父の誕生日を見てみると、
祖父の誕生日のほうが後でした。

私はこのときとっさに気がついたのです。
曽祖父は、子供の顔を見ることなく、戦地で亡くなったのだということを。

当時はこういうことはよくあったことでしょう。
しかし、私は、自分が存在していることの数奇な運命を、先祖に心から感謝しました。

タグ:先祖
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2013年01月02日

墓参り

今日は、多磨霊園に墓参りに行って参りました。

曽祖父(祖母の父)の田村守衛さんのお墓が、私の家のお墓と同じ多磨霊園にあるということを昨年知り、そちらにも一度行ってみたいというのもあったからです。
ついでに、先祖とゆかりのある児玉源太郎大将のお墓も多磨霊園にあるということで、そちらにも行くことにしました。

先日梶栗玄太郎会長が聖和されましたが、梶栗会長のお名前は児玉源太郎大将にあやかって名づけられたと先日証し文で知ったこともありました。
それでなんだか今日は礼服を着て行かないといけない気持ちになって、礼服を着て行ってきました。

私は、田村守衛さんのお墓が多磨霊園にあることを今までずっと知らず、生まれてこの方一度も行ったことがありませんでした。
御旨の道に来ていなければ、一生知らずに終わっていたことでしょう。

それが、こうしてようやくお墓参りが出来たことを心から感謝しています。
御旨の道に来てやるべき使命を果たせて、ご報告に伺わせていただいたのかなあと思います。
新たなる決意をご先祖様に誓う時間にもなりました。

HI3H0008.JPG

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歴史が眠る多磨霊園 田村守衛
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/T/tamura_mo.html

歴史が眠る多磨霊園 児玉源太郎
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/K/kodama_ge.html

タグ:先祖
posted by 若枝 at 21:49| Comment(0) | 先祖・復帰されるまで | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする