2013年08月25日

神様の理想について、もう一度思いを馳せてみなければ

私たちは、神様の理想について、もう一度思いを馳せてみなければならないかもしれません。

神様がこの地を創造された理由は、神様の理想を実現したかったからに他なりません。
神様が私たちを生かしてくださったのも、神様の理想を実現したかったからです。

神様の理想とはどんなものでしょうか。
人々が相和し、争いがなく平和で、心行くまで喜びに満たされ、すべての人がみな等しく自由な世界。
神様の理想は三大祝福のみ言でまとめられていますが、
断片的に形容してみれば、こんなふうなことが言えるかもしれません。

しかし、今の社会では神様の理想は忘れ去られ、人々は自分たちのことを中心に考えて生活しているので、神様の理想からはかけ離れてしまっています。
どんなに成功した人がいて自由を謳歌していたとしても、神様の理想とは違う世界です。

それで、私たちは、自分も成功しようとするのではなく、神様の理想を実現していこうということになります。

でも、神様の理想を実現するには、神様の理想とは違うこの世で生きている自分をいったん捨てなければならないという壁があります。
この世を変えるためには、まず自分が変わらなければならないからです。
それで、この壁を越えられるかどうかが問題になります。

そして、伝道は、一人でも多くの人にこの壁を越えてもらうことだと思います。

お釈迦様も「解脱して涅槃に至る」とおっしゃっていますが、これはこの壁を越えることだと思います。
そして、さらに、神様の理想を実現していく道があります。



ラベル:涅槃
posted by 若枝 at 08:18| Comment(0) | 人生観 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月19日

私の人生観

神様の創造理想実現について、今までどのくらいの時間がかかってきたかを考えてみますときに、
人類の歴史が6千年とも100万年とも言われていますから、
これまで6千年以上はるかに長い年月がかかってきたことになります。
そして、無数の人々が地上に生まれて死んでいきました。

これに比べると、自分の人生がどれくらいだろうかと考えます。
60年とか80年とか、そして、これから先どれくらい地上で生きられるかを考えてみると、もっと短く、20年とか30年しかありません。

人類のために、あるいは、神様の創造理想実現のために、自分が自分の手で何かを出来る期間があと20年であり、神様の創造理想実現のためにこれまで何万年もかかってきて、無数の人が生まれては死んでいき、これから先何千年かかるか分からなくて、同じ課題がこれから先に生まれてくる人たちの上にも覆いかぶさる今の状況を考えますと、自分は、自分の生活のことよりも、神様の創造理想実現のことを考えます。

どうしたら神様の創造理想を実現できるだろうか、と考えあぐねます。



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2013年05月24日

メキシコ宣教の回顧録

私の相対者はメキシコ宣教師で、私も2度ほどメキシコに行ってみたことがあります。

2回目に行った時は、2007年7月に名門大学同窓会セミナーでお父様から、「大統領を復帰してきなさい。」というみ言を頂いて、それぞれが宣教国を決めて出向いて行ったときでした。アベル平和UN創設に伴う摂理だったと思います。

そのときにお父様は、東大を始めとする名門大学同窓生が主要国家に常駐する構想を語られ、我々を祝福してくださいました。
しかし、その後出された派遣の方針は10日程度のもので、ずいぶんとトーンが落ちてしまったのにがっかりした思い出があります。

メキシコでは、大統領に会うことは出来ませんでしたが、大統領への手紙を託して帰って来ました。


メキシコに行って肌で感じたのは、宣教師の誰かが移住して宣教活動に専念しなければ国家の復帰は難しいなあ、ということでした。
それで、私はやはりメキシコに移住する決意を変えず、家も売却する方向へと動き始めました。

しかし、この決意に対して、国家メシヤの先生は、我々の移住を許可してくれませんでした。
理由は、生活の心配から、でした。
これに対して、私は非常に葛藤しました。宣教のためにいのちを捧げてこそ、その国が復帰されると思っていたからです。生活のことなど心配するべきではない、と思いました。でも、国家メシヤの先生に逆らっても事がうまく運ぶわけはないので、移住は断念せざるを得ませんでした。

その後の3年間はこの葛藤がずっと続いたように思います。

しかし、今は、このときにメキシコに行かなかったおかげで、経済論の研究がやりやすくなっているので、感謝する気持ちも湧いては来ています。



posted by 若枝 at 11:56| Comment(0) | 人生観 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月15日

人生で最も貴重な瞬間 それは決断の時である

私は、こう見えて、結構、頭を使っています。
戦略を練ると言いますか、どうやったら成功させることが出来るか、知恵を巡らします。

そうすると、だんだんと考えがまとまって来るもので、面白いものです。
そして果敢な決断をします。

子供の頃に見たアニメの主題歌が教訓になっています。

決断 オープニング
http://www.youtube.com/watch?v=zqJXEgT_vC4



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2009年11月10日

私の存在を願われた神様

神様がいらっしゃって、自分を生んでくださった。

それはなぜか。

神様がそれを欲したからに他なりません。

すなわち、神様は、私が存在する前に、私という存在を願った、ということです。

文先生は、「愛が先でしょうか、生命が先でしょうか、愛が先です。」と教えてくれました。

私という存在が現れる前に、神様が私という存在を愛され存在を願われた、
ということを、私は統一教会で学びました。

私という存在より、私という存在を願われた神様の愛のほうが先であり、私の人生は最初からすべて神様の愛によって包まれていたのです。

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2009年11月09日

人生観の大転換

私は、統一教会に入って、人生観が大逆転しました。

神様は、自分がいて観念的な神様のことを考えているのではなく、
神様がいて、自分が神様の対象として存在しているのです。

神様と自分の存在の順番が逆転しました。
神様と自分のどちらが主体であるかの関係が逆転しました。

この人生観の大逆転は、私の人生をまるっきり変えてしまいました。

では、どちらがほんとは正しいのでしょうか。

自分が神様のことを考えているのは確かにそうですが、
ではその自分はどうして存在するのかといえば、
自分を存在たらしめてくださった方が先にいらっしゃる。

その方のことを私たちは神様と呼んでいるわけです。
その呼び方はエホバとかアラーとか大日如来とか天之御中主神とか、何でも構わないのですが、そのお方は唯一無二の絶対的な存在なのです。

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2009年11月08日

生きていてまず考えるべきこと

生きていく上で、一番最初に考えなければならないことは、

この人生が神様によって与えられたこと

だと思います。

私はこのことを統一教会で教えてもらいました。

どうやって生きていったらよいのかを考えるのではなく、
神様が生かしてくださったことを考え、
神様に人生の進路を委ねてみましょう。

神様任せにするということではなく、
神様が願う通りの道を勇気をもって進んでみよう、
ということです。

自分の胸に聞いてみれば、
神様の願いは自ずとわかるものです。

神様は必ず道を与えてくださるはずです。


ラベル:人生
posted by 若枝 at 08:00| Comment(2) | 人生観 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月05日

なぜ生きているのか

考えてみれば、自分がなぜ生きているのか、わからないままで生きている人は、結構多いのではないでしょうか。

おいしいものを食べたり、見たいものを見たりして、気分的にはわりと楽しく生きていますけれど、肝心な、どうして自分はここに生きているのかはわからないままで、時を過ごしています。

誰でもいつかは死ぬときが来ますが、そのときに、大抵の人は、なかなか楽しい人生だった、と思うのかもしれません。
でも、死を迎えるのは、自分の存在理由がよくわからなければ、とても怖いと思います。

自分はこれからどこにいくんだろう。
それは、自分の存在理由がわからなければ、わかるはずがありません。

ですから、どうして自分がここに生きているのかを知ることはとても切実なことに感じられます。


posted by 若枝 at 13:46| Comment(0) | 人生観 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月04日

生きていて何をするか

たった一度きりで、終わったら二度と戻ってこないのに、今現在実際に歩んでいる人生において、
いったい何をしたらよいのだろうか、と考えます。

忙しくてそんなこと考えている暇はないよ、と言う声が返ってきそうですが、

たとえ飢え死にしそうになったとしても、この問いに納得のいく答えを出さない限り、満足できる人生を送ることはできないと思います。


posted by 若枝 at 16:01| Comment(0) | 人生観 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月02日

どうして神中心の道を選ぶのか

どうして、自分を中心としないで、神様を中心にするなどと言うのでしょうか。

いままで大勢の人が、
そんなことは可能なのかどうかもわからないし、
そんなことをしたら自分の人生を無にしてしまうようなものじゃないか、
と助言してくれました。
また、自分でもそう思ったことが何度もありました。


でも、私たちはこの道を人生に選びました。

その理由はただ一つです。

どちらのほうが人類にほんとうの幸福をもたらすことが出来るだろうか。


たとえ困難な人生になったとしても、それが人類にほんとうの平和と幸福をもたらすことが出来るならば、その道を行こう、と決心したのです。



posted by 若枝 at 09:00| Comment(0) | 人生観 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする