2015年12月05日

今朝は、何か新しい朝を迎えたような気がいたしました。

昨夜、私は、相対者といっしょに風呂に入りながら、先々月の29日にあったことを話しました。

その日、東京からの帰り道、神様から「経済論のこれからのことに責任を持ってくれるか?」と聞かれて、

私は、とっさに、「自分には地位もないし、誰もこれによって自分を褒めてくれるわけでもないし、自分ひとりで勝利できる自信もないので、自分ひとりでは出来ません。みんなでやってもらいたいです。」
と、お答えしたのでした。



私は、神様のお気持ちを尋ね求めてみたくなって、相対者が風呂から上がった後、湯船につかりながら、ずっと深くまで祈り求めていきました。

すると、神様は、「この経済論は私の心情を表している。」とおっしゃりながら、「私はすべての人を愛したいのだ。」と言われ、わーっと泣きすがって来られたのです。

私も、涙がこみ上げてきてしまいました。

そして、「どうして責任を持ってくれないのか。」と言われるのです。

それで、私は、「わかりました。」と素直に申し上げました。

神様は、私の何かを問題にするのではなく、ただ、責任を承るという、神様の対象として立つことが最大の願いだったことを悟りました。


私の中のサタンが分立された思いがいたします。

今朝は、何か新しい朝を迎えたような気がいたしました。



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2015年11月23日

感謝 大患難のとき。

公文『特別43日路程の意義について』『忠節の心情でサタン分立40数勝利』を読みました。

今、教会の内部でも、世界的にも、大患難のときであるのを感じます。

なぜこういう状況が起きるのかについて、

「そのような患難の中でも『神様を愛する』と言う、そのような難しい場でも『神様と共に生きる』と言い得る真の息子、娘を探すために」

という、「訓教経」のみ言が紹介されていました。

訓教経(上)017 侍りたいお父様


私は、この大患難のときに、心から感謝したいと思います。

なぜなら、地上天国が出発することを意味しているからです。
神様を真の父母として侍る、本来の姿を人類が取り戻せるときが来たからです。
今までの、アダムとエバの堕落以来の人類歴史を、すべて越えていくためにふさわしい患難ですから、そう生易しいものではないでしょう。それでも越えていくのが楽しみなくらいです。


今、世界中を見渡してみて、真理を語っている人、国があるでしょうか?
ありません。真のご父母様以外に、真理を語っている人も国もありません。


「私たち統一信徒はこの民族に代わって、この民族が行けない道を行かなければなりません。行くには何を中心として行かなければならないのでしょうか。天情を中心として、神様の心情を中心として行かなければなりません。そうすれば、皆さんは世界を支配するでしょう。」
訓教経(上)017 侍りたいお父様



タグ:大患難
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2015年11月11日

真のお父様がアメリカの主要都市で巡回講演をされた理由

今日は、教会の朝5時の訓読会で、「真の父母経」の「アメリカ主要都市の巡回講演」の1971年から1974年のところを訓読させていただきました。

真のお父様がアメリカの主要都市で巡回講演をされた理由は、神様の摂理のご計画に従って、アメリカの全国民に再臨主の到来を伝える必要性があったからだということでした。

当時アメリカにいた教会員たちに分からなくても、真のお父様はお1人で、この、神様にとって必要なことをなさって来られたということでした。


今、真のお母様が、全人類70億に真の父母の到来を伝えなさい、とおっしゃっていますが、これは、このときのアメリカの摂理と同時性を持っている、と私は感じました。

真のお母様は、神様の必要性から、真の父母を人類に伝えなさい、とおっしゃっているのです。

ですから、これは、地の事情よりも、天の事情と心情と願いに立って、とにかく伝えなければならないことであると思って、新しい決意をして帰って来ました。

でも、これは、真のお父様は3年をかけて巡回講演で成し遂げられたということで、むやみやたらにやっても駄目で、神様と真のご父母様と一体化して進めていく必要性があるとも感じました。



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2015年11月09日

縄文文化は1万年以上も持続した驚異的な文明社会だった

NHKスペシャルの「縄文 奇跡の大集落 〜1万年 持続の秘密〜」を見ました。

縄文|NHKスペシャル アジア巨大遺跡

日本人の祖先は縄文人ですが、その縄文時代は、実は、1万年以上も持続した驚異的な社会だったという内容でした。

ちなみに、最近のDNAの研究によって、日本人のルーツは中国人や韓国人とは違う縄文人であり、これは古代ユダヤ民族やチベット民族に近いと言われています。


番組では、縄文文化が1万年以上も持続した理由について、豊かな自然環境など、外的な要因に焦点が当てられていましたが、

私が番組を見て感じた一番の理由は、縄文人は誰も独占的所有を主張せず争いがなかったこと、だと思いました。

日本人には縄文人の平和のDNAが受け継がれている、と思います。



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2015年11月04日

昨日は、第19回全国中和文化祭の14地区大会でした。

昨日は、第19回全国中和文化祭の14地区大会でした。

「良心革命」の非常に素晴らしい証しにとても感動いたしました。

そして、エンターテイメントA部門では、茨城の「決意 過去から未来へつなぐ思い」がみごと優勝を果たしました。

私としては、完成度がいま一つであまり劇に独創性がないなあとも感じたのですが、「特攻隊」という特異なテーマとその忠孝の精神が斬新だったのかもしれません。

欲を言えば、真のお父様のみ言をも引用して、当時特攻隊で散っていった英霊たちを慰め、天的次元でその使命を引き継いでいく要素も入れて欲しかったなあと思いました。

真のお父様はこのように語っています。

「こういう道は平坦な道ではありません。険しい山の絶頂を登るような道です。いばらの道です。生死を決定する最も険しい道に違いありません。そして、特攻隊でなくては、このような道を突破することはできません。今の、この国の中で、誰が、どの団体が、この特攻隊になり得るでしょうか。それは我々統一教会の食口たち以外にないのです。」
生涯において何をなすべきか

「蕩減革命、良心革命、心情革命の三大革命を、皆様の日常生活の中で実践し、完遂して、真の解放と釈放の時代を開門する、天の特攻隊になることを覚悟して立ち上がる人は、両手を挙げて、天の前にその決意を誓いましょう。」
真の心情革命と真の解放釈放時代開門

「日本の特攻隊、知っているでしょう。十六、七歳の若者たちが飛行機に乗って帰ることのできない道を飛んで行く、それが日本精神でしたね。それ以上の精鋭の心をもって、天的勇士として兵士として、最後の勝利圏に向かって突進する大砲の弾丸みたいに、行ってからぶつかる敵のところには破壊を、そして勝利圏を獲得しなければ、我々は存在できないという価値ある者になるために、我々はここに集まってきたのです。」
日本統一運動史



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2015年10月31日

今日は、土浦教会では、朝5時の訓読会で、「真の父母経」の中の「年頭標語」のところを訓読させていただきました。

今日は、土浦教会では、朝5時の訓読会で、「真の父母経」の中の「年頭標語」のところを訓読させていただきました。

1960年から、真のお父様が、摂理の指針として年頭標語を掲げてくださいましたが、その年頭標語の意味について語られたみ言でした。

1960   「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」
1961   「父の代身者となろう」
1962   「見せてあげて誇り得る者となろう」
1963−1967「勝利的主管者となろう」
1968−1969「全面的な進撃をしよう」
1970   「勝利的統一戦線」
1971   「統一基盤確保」
1972−1974「統一戦線守護」
1975   「天国実現」
1976   「子女による天国実現」
1977   「理想家庭による天国実現」
1978   「公式路程を通しての天国実現」
1979   「家庭教会を通じた天国完成」


実に深奥なみ言であり、神様と真のご父母様を中心とした人類救済の摂理の段階を追った核心的なみ言でした。

基元節から2020年までの今の路程は、1968年からの第2次7年路程と重なっていることを感じました。

教会からの帰りすがら、「このみ言は真のお母様でなければ後世に残すことが出来なかっただろうなあ。」と思いました。

当時の先輩家庭は聞いていたみ言だと思いますが、私などは初めて接するみ言でした。

真のお父様が復帰摂理の途中々々で語られたみ言ですが、真のお父様を証しするみ言として、真のお父様を証しするご心情で真のお母様がまとめることをしてくださったということがすごくよくわかりました。

「真の父母経」は実に尊いみ言だなあと思いました。



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2015年10月21日

夢の中で、真のお父様は「統班撃破」と語られた。

先日、真のお父様の夢を見ました。

たぶん、病院の一室にいたのだと思います。救急車が外に止まって、部屋に誰かが数人の人たちと入ってきたのですが、それが、肩を抱きかかえられた真のお父様でした。

真のお父様はお元気そうでした。部屋に入ってこられ、私の目をしっかりとご覧になりました。
私が、自分の名前を言うと、お父様は私のことをご存知のようでした。そして、私が統一経済論を研究していることもご存知だったようで、「知っているよ。」とおっしゃってくださり、とても喜んでくださいました。

そして、お父様は
「先生は統班撃破をしようと思う。」
とおっしゃいました。

夢の話はここまでですが、「統班撃破」とはどういう意味だったかなと、み言を検索してみました。

すると、以下のようなみ言が出てきました。

「皆さん、統一教会の祝福家庭は、この「七・一節」を中心として、国家がすべて回るようにしなければなりません。
 統班撃破というものを宣布しました。知っているでしょう。統班撃破を完全にしたならば、南北と連結させるのです。そうしたならば、与党、野党を糾合し、先生を中心として完全に天の側へと引っ繰り返して打ち込むのです。」
第六回「七・一節」敬礼式後の御言



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2015年10月19日

永生プロジェクト

土浦教会では、教区長様が「永生プロジェクト」と題して、聖和式に関する様々な問題を解決していく取り組みが始まりました。

教会で長年頑張ってきたのに、氏族が復帰されていないために、聖和式を行なうことが出来ない場合などがあります。これに対して、どのように解決していったらよいかということがありました。

また、「聖和式」といえば、我が世界平和統一家庭連合の伝統的な葬儀方法で、いざ親族が聖和したときには執り行わなければならないのですが、これまで詳しいことを聞く機会があまりありませんでした。

しかし、今日、土浦教会においては、聖和式を受け持ってくださっている教会推薦の葬儀屋さんからアドバイザーをお招きして、聖和式に関連した様々なお話をお聞きすることが出来、不安も解消されて、教会員一同とても喜びに包まれました。

こういう機会を与えてくださった教区長様に心から感謝申し上げます。

天の父母様と真のご父母様が人類を愛される限りない愛に感動するひと時となり、その正式な手続きとしての聖和式を通して霊界に行きたいと、皆が実感するひと時となりました。



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2015年10月13日

世界平和統一家庭連合出帆、おめでとうございます。

世界平和統一家庭連合の出帆を心よりお祝い申し上げます。

昨日、幕張イベントホールで開催された出帆記念大会に、私たち夫婦も行ってまいりました。

今までにない、ものすごいエネルギーを感じる大会で、天地が揺れるのを感じるくらいでした。

今朝祈ってみると、それもそのはず、ついに「祝福家庭」が「神のもとの人類一家族世界実現」の雄叫びを上げた大会だったからです。

世界70億人類が未だ多くの涙を流している現状において、この世界を地上天国にしていく困難な道のりを確信と自信をもって、天と共に出発した記念すべき大会でした。

世界平和統一家庭連合は、神様の実体対象として正午定着した世界の中心団体であり、今後、家庭連合を中心として、世界は神様の創造理想を取り戻していくことでしょう。



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2015年09月28日

「世界平和統一家庭連合」への名称変更は、まさにペンテコステ

昨日の日曜礼拝の説教は、
「世界平和統一家庭連合 億万歳」
という題目の説教でした。

「世界基督教統一神霊協会」から「世界平和統一家庭連合」に変わったことは、
単なる名称の問題ではなく、霊的に非常に重要な意味があり、
まさにペンテコステと言っても過言ではない内容があるとのことでした。


「世界基督教統一神霊協会の使命が終わることにより、宗教の使命は終わり、救い・宗教を必要としない新時代に入る。
家庭を理想家庭にすることで、神様の創造理想を復帰完成、天的理想世界を立てる。」

「私たち統一教会は、家庭を中心とした国家救援、世界救援を唱えている」

「家庭が定着して世界に通じる家庭になってこそ、エデンで願った神様の創造理想の結実が現れる」

といったみ言が紹介されました。


私は、「そうか。日本においては、ようやく、宗教の使命を全うする基準が立ったので、名称の変更がなされたのだなあ。」と思いました。

これまでは実に険しい道のりだったと思います。
苦しくて、「救い」を自分中心に求めて分派を作ってしまった人もいたように思います。
しかし、これまでの道のりは、救いが救いで終わるための道のりではなく、もっと飛躍して神様の創造理想を実現していく段階にまで昇っていくための道のりであったのです。


統一教会の救済観は、人間中心ではなく、神中心です。

原理講論には、

「それでは、神は、この世界を、どの程度にまで救わなければならないのであろうか。いうまでもなく、その救いは完全な救いでなければならないので、神はどこまでもこの罪悪の世界から、サタンの悪の勢力を完全に追放し(使徒二六・18)、それによって、まず、人間始祖の堕落以前の立場にまで復帰なさり、その上に善の創造目的を完成して、神が直接主管されるところまで(使徒三・21)、救いの摂理をなしていかなければならないのである。」(第三章 人類歴史の終末論 第二節 救いの摂理)

と書いてあります。

救いとは、神様が人間とこの世界を救うことを言っているのであり、
人間が自分が救われたいという目的を果たすことを言っているのではありません。

ですから、名称の変更は、神様の摂理が、これまでと違う新たな段階に入ったことを意味していると思います。



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2015年09月16日

世界は何かの胎動を感じているのか

聖和3周年の喪が明けました。

世界は何かの胎動を感じているのでしょうか。

9月中旬からの重大イベント27 - YouTube

ヨベルの年も9月23日から始まるそうです。



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2015年09月10日

「何を食べようか、何を着ようかと言って思いわずらうな」と言われたイエス様のみ言の真意

マタイによる福音書の

「だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」
(マタイによる福音書6章31節〜33節)

というイエス様のみ言はあまりにも有名です。

このみ言を、我々の信仰姿勢として捉えることは出来るでしょう。

しかし、私はさらに、イエス様は、神様の息子として来られて、これを信仰のためだけでなく、人類が本来生きるべき神の国の姿を指しておっしゃったのだと思います。


何を食べようか何を飲もうかと思いわずらう異邦人とは、堕落して神様の愛が分からなくなってしまい、神様の愛を抜きにして自分の力だけで生きているつもりでいるこの世の人々のことであり、これまでの世の中はそういう人々ばかりの世の中でした。

しかし、イエス様が来られて、新約時代においては、神の国が一人ひとりの心の中にある時代を迎えました。

それが、我々の時代圏におきましては、真のご父母様が来られて、地上に実体として天国が出来る時代を迎えたのだと思います。

神の義が成就した本来の神の国は、みなが分かち合い、食べるもの、着るものに関して誰も思いわずらう必要のない世界です。

真のご父母様が来られて実体として勝利されたがゆえに、神の義が実体的に成就する時を迎えたのだと思います。

統一原理に基づく経済社会の打開策



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2015年07月30日

十戒

一昨日、映画「十戒」を見ました。

十戒 (映画) - Wikipedia

なぜこの映画を見たくなったのか、わかりませんが、4時間近いこの映画を、なぜか、見ました。

見始めたら、一気に見てしまいました。

そこには、モーセ(モーゼ)の生涯がつづられていました。

王宮で育ったモーセが、自分がエジプト人ではなく、ヘブライ人すなわち奴隷の子(イスラエル)であったことを知ったときの衝撃と、その後、彼が選んだ道は、何かを教えてくれているかのようでした。

彼は、奴隷の境遇を甘んじて受けながら、奴隷を解放せんとする唯一なる神への絶対的信仰を貫いたのです。

そして、渡りきるのに5日もかかる砂漠に、1日分の食料しか持たされずに追放され、限界が来て、砂漠に倒れたときに、神の摂理が始まりました。



タグ:モーセ
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2015年07月04日

旭日旗と統一旗

旭日旗(きょくじつき)は、日本の国旗です。

インターネットのウィキペディアで旭日旗の記述を下まで読んでいくと、
大日本帝国陸軍や朝日新聞、そして、いろいろな国の国旗が出て来た後に、
なんと、統一教会の統一旗が出てきます。

旭日旗 - Wikipedia

このことをみんなに話したら、
ある先輩は、一番いいものをサタンが先に取っていったんだよ、
なんて言っていました。

確かに以前の日本はそうだったかもしれません。
でも、今は神様の愛する母国となって、
旭日旗と統一旗が似ていることは、
とても喜ばしいことだと思いました。

国家と宗教が一つになったことを意味していると思います。
また、真のお父様が日本を愛してくださっていたことの何よりの証拠だと思います。

デザインの意味するところは、旭日旗は太陽を中心として燦爛と輝く太陽の光を図案化したもの、
統一旗は神様と12の真珠門を図案化したもので、両者は異なりますが、
太陽が神様を象徴していることを考えますと、見ている方向は一致しているのではないかと思います。



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2015年06月30日

秀吉が伴天連を追放した理由

豊臣秀吉がキリシタンを迫害したことは知っていましたが、
先日、ある壮年と話をしていて、秀吉が伴天連を追放した理由として、
日本人が奴隷として売買されていたことがあったということを知って、
私は非常にショックを受けました。

バテレン追放令 - Wikipedia
奴隷貿易 - Wikipedia

人間を物のごとく売り買いするということは、唯物論とまったく同じで、考えられないことです。

当時は、キリスト教の正当な思想と、そうでないものが入り混じっていたのだと思います。

新世界のユートピア」(増田義郎著)を読むと、西欧がアメリカ大陸に出て行って植民地を広げていったときの様子を垣間見ることが出来ます。

これを読むと、当時のヨーロッパ人にとって未開の地の人々は果たして人間なのかという疑問すらあったことや、開拓者たちが現地の人々を奴隷にしたこと、奴隷にされた多くの現地人がヨーロッパから持ち込まれた風邪で死んでしまったこと、そして、キリスト教の宣教師には、現地人をまっとうに扱うことを国王に嘆願した人もいたということが書かれています。



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2015年06月16日

第53回「真の万物の日」おめでとうございます。 「真の万物の日」の背後に「創造本然の人間」

第53回「真の万物の日」、おめでとうございます。

今日は、久しぶりに、5時から教会で行なわれた名節の敬礼式に参加してきました。



「真の万物の日」の背後には、「創造本然の人間」の出現があるわけですが、私たちは、真のご父母様を通して、初めて「創造本然の人間」ということを聞きました。

そして、足りないながらも、私たちも創造本然の人間の位置に立たせていただくことになりました。

創造主であられる神様と心情一体化した創造本然の人間がいてこそ、この世界が、万物を真の愛で主管できる世界になるわけです。
堕落した人類にとっては不可能なことでしたが、神様の救援摂理は、創造本然の人間を出現させるところにまで到達し、この世界は、万物を真の愛で愛するという理念の存在する世界にまで到達することが出来ました。

そして、今後、創造本然の人間は、決して消え去ることはありませんし、時間と共に世界を創造本然の世界にしていきます。

安全保障問題に代表されるようなこの世の問題は人類が堕落したがゆえに発生している問題で、創造本然の人間は、もっと大上段から、この地球星を創造本然の世界にしていきます。

真の父母様の伝統を相続し、真の万物の日を祝う我々は、この世界を創造本然の世界にしていく、ごく少数の「創造本然の人間たち」なのです。



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2015年06月09日

聖和式での母の姿

母の聖和式の写真を葬儀屋さん(メモリアルさん)が持ってきてくれました。

全体で撮った記念写真に、母の姿が写っていました。
独身祝福だったのですが、霊界で待っていらっしゃった主体者の方と一緒に写真に入ってくれたようです。


聖和式.jpg


そういえば、亡くなる少し前から、誰かが来ているようなことを話していました。
誰々さんとか言って、「知らない?いろいろと詳しいよ。」なんて言っていました。
そのときは夢の話でもしているのかと思っていましたが、主体者の方が来ていらっしゃったのかもしれません。



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2015年06月02日

今日は、母の聖和式でした

今日は、母の聖和式でした。

天候にも恵まれ、母にとっては懐かしい、教会の皆様に来ていただいて、よい聖和式を執り行うことが出来ました。

私は、遺族代表挨拶を読み上げました。

「本日は、お忙しい中、母井上悦子のためにご会葬くださいまして、誠にありがとうございます。懐かしい皆様にお見送りいただき、さぞかし母も喜んでいることと存じます。
 一人暮らしが好きだった母を同居の家族として迎えた生活は、いろんな苦労の絶えない生活でした。若い頃飛び回っていた母を素直に愛せない気持ちもあり、最初は手を触れることさえ嫌でしたが、ここ半年くらいは、寝たきりの不自由な体になり、思うことが言葉として出てこない様子の母を見て哀れに思い、これまでの恨みが薄れていくのを感じました。最後は、食事の介助や下の世話までしてあげられたのはほんとうに幸いだったと思います。ずっと会っていなかった弟にも、まだなんとか口が利ける間に、呼んで会いにきてもらうことが出来たのも、天の導きだったと思います。
 もし、同居ということを考えなければ、何もかも出来ずじまいで今日を迎えざるを得なかったと思います。それが、こうして、何も思い残すことなく送り出すことが出来ました。それは、文鮮明先生ご夫妻が、両家の両方の母親といっしょに暮らすという途方もないことを教えてくださったからに他なりません。文先生ご夫妻が教えてくださったことに素直に聞き従った結果、このような幸福な結末を迎えることが出来たことを心から感謝しております。
 これからは新しい出発だと思います。今後は、残された遺族一同にも故人同様のご厚情を賜りますよう、心からお願い申し上げながら、挨拶の言葉に替えさせていただきます。本日は誠にありがとうございました。」



タグ: 聖和式
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2015年05月30日

昨日、母が聖和いたしました。

昨日、母(井上悦子・独身祝福)が聖和いたしました。

床ずれで入院はしていましたが、まだまだ元気だったので、死などまったく予期していませんでした。

お父様の聖和1000日を迎えるこのときに、
これからの天の摂理のために、
私の代わりに霊界に行ってくれたのだ、
と感じます。

午前中、メーリングリストに統一経済論の論文を流した日の、午後でした。



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2015年05月17日

映画「桜田門外ノ変」を見て

最近、映画「桜田門外ノ変」を借りてきて、見ました。

映画『桜田門外ノ変』予告編 - YouTube

ずっと前に公開になった映画ですが、今回初めて見ました。

1度見て「こんな悲しい映画は一度見れば十分だ」と思いましたが、
返す前にもう一度見ておこうという気になって、もう一度見ました。

そして、当時の志士たちの苦悩が伝わってきました。


清国を侵略した西欧列強が次に日本を狙っているという状況の下で、
開国か攘夷かで国内が真っ二つに分かれる中、
開国派の井伊大老を、水戸脱藩浪士と薩摩藩士が襲撃しました。


私は、彼らが、井伊大老を斬りたくて斬ったわけではなかったという深い悲しみを感じました。
欧米列強の理不尽なやり方が、すべての人を狂わせた、ということを感じました。
当時、欧米は、欧米諸国内でも戦争をしていました。
幕末の志士たちが向き合ったのは、藩の問題でも、日本だけの問題でもなく、世界人類が抱え込んだそういった問題だったのだと思います。
そして、この歴史は、今も続いている、と思いました。

品を変え、形を変えて、今も続いています。
共産主義が現れても本質は変わりありませんでした。
混合経済が現れても、本質は変わっていません。
むろん、民主主義や社会主義でも、本質は変わりません。


統一食口である我々は、この歴史をどのように切り開くのか。
彼らの無念さを晴らしてあげられるのは、我々しかいません。

刀ではなく、理念でもって、我々は歴史を変えましょう。



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