2015年07月04日

旭日旗と統一旗

旭日旗(きょくじつき)は、日本の国旗です。

インターネットのウィキペディアで旭日旗の記述を下まで読んでいくと、
大日本帝国陸軍や朝日新聞、そして、いろいろな国の国旗が出て来た後に、
なんと、統一教会の統一旗が出てきます。

旭日旗 - Wikipedia

このことをみんなに話したら、
ある先輩は、一番いいものをサタンが先に取っていったんだよ、
なんて言っていました。

確かに以前の日本はそうだったかもしれません。
でも、今は神様の愛する母国となって、
旭日旗と統一旗が似ていることは、
とても喜ばしいことだと思いました。

国家と宗教が一つになったことを意味していると思います。
また、真のお父様が日本を愛してくださっていたことの何よりの証拠だと思います。

デザインの意味するところは、旭日旗は太陽を中心として燦爛と輝く太陽の光を図案化したもの、
統一旗は神様と12の真珠門を図案化したもので、両者は異なりますが、
太陽が神様を象徴していることを考えますと、見ている方向は一致しているのではないかと思います。



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2015年06月30日

秀吉が伴天連を追放した理由

豊臣秀吉がキリシタンを迫害したことは知っていましたが、
先日、ある壮年と話をしていて、秀吉が伴天連を追放した理由として、
日本人が奴隷として売買されていたことがあったということを知って、
私は非常にショックを受けました。

バテレン追放令 - Wikipedia
奴隷貿易 - Wikipedia

人間を物のごとく売り買いするということは、唯物論とまったく同じで、考えられないことです。

当時は、キリスト教の正当な思想と、そうでないものが入り混じっていたのだと思います。

新世界のユートピア」(増田義郎著)を読むと、西欧がアメリカ大陸に出て行って植民地を広げていったときの様子を垣間見ることが出来ます。

これを読むと、当時のヨーロッパ人にとって未開の地の人々は果たして人間なのかという疑問すらあったことや、開拓者たちが現地の人々を奴隷にしたこと、奴隷にされた多くの現地人がヨーロッパから持ち込まれた風邪で死んでしまったこと、そして、キリスト教の宣教師には、現地人をまっとうに扱うことを国王に嘆願した人もいたということが書かれています。



ラベル:豊臣秀吉 植民地
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2015年06月16日

第53回「真の万物の日」おめでとうございます。 「真の万物の日」の背後に「創造本然の人間」

第53回「真の万物の日」、おめでとうございます。

今日は、久しぶりに、5時から教会で行なわれた名節の敬礼式に参加してきました。



「真の万物の日」の背後には、「創造本然の人間」の出現があるわけですが、私たちは、真のご父母様を通して、初めて「創造本然の人間」ということを聞きました。

そして、足りないながらも、私たちも創造本然の人間の位置に立たせていただくことになりました。

創造主であられる神様と心情一体化した創造本然の人間がいてこそ、この世界が、万物を真の愛で主管できる世界になるわけです。
堕落した人類にとっては不可能なことでしたが、神様の救援摂理は、創造本然の人間を出現させるところにまで到達し、この世界は、万物を真の愛で愛するという理念の存在する世界にまで到達することが出来ました。

そして、今後、創造本然の人間は、決して消え去ることはありませんし、時間と共に世界を創造本然の世界にしていきます。

安全保障問題に代表されるようなこの世の問題は人類が堕落したがゆえに発生している問題で、創造本然の人間は、もっと大上段から、この地球星を創造本然の世界にしていきます。

真の父母様の伝統を相続し、真の万物の日を祝う我々は、この世界を創造本然の世界にしていく、ごく少数の「創造本然の人間たち」なのです。



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2015年06月09日

聖和式での母の姿

母の聖和式の写真を葬儀屋さん(メモリアルさん)が持ってきてくれました。

全体で撮った記念写真に、母の姿が写っていました。
独身祝福だったのですが、霊界で待っていらっしゃった主体者の方と一緒に写真に入ってくれたようです。


聖和式.jpg


そういえば、亡くなる少し前から、誰かが来ているようなことを話していました。
誰々さんとか言って、「知らない?いろいろと詳しいよ。」なんて言っていました。
そのときは夢の話でもしているのかと思っていましたが、主体者の方が来ていらっしゃったのかもしれません。



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2015年06月02日

今日は、母の聖和式でした

今日は、母の聖和式でした。

天候にも恵まれ、母にとっては懐かしい、教会の皆様に来ていただいて、よい聖和式を執り行うことが出来ました。

私は、遺族代表挨拶を読み上げました。

「本日は、お忙しい中、母井上悦子のためにご会葬くださいまして、誠にありがとうございます。懐かしい皆様にお見送りいただき、さぞかし母も喜んでいることと存じます。
 一人暮らしが好きだった母を同居の家族として迎えた生活は、いろんな苦労の絶えない生活でした。若い頃飛び回っていた母を素直に愛せない気持ちもあり、最初は手を触れることさえ嫌でしたが、ここ半年くらいは、寝たきりの不自由な体になり、思うことが言葉として出てこない様子の母を見て哀れに思い、これまでの恨みが薄れていくのを感じました。最後は、食事の介助や下の世話までしてあげられたのはほんとうに幸いだったと思います。ずっと会っていなかった弟にも、まだなんとか口が利ける間に、呼んで会いにきてもらうことが出来たのも、天の導きだったと思います。
 もし、同居ということを考えなければ、何もかも出来ずじまいで今日を迎えざるを得なかったと思います。それが、こうして、何も思い残すことなく送り出すことが出来ました。それは、文鮮明先生ご夫妻が、両家の両方の母親といっしょに暮らすという途方もないことを教えてくださったからに他なりません。文先生ご夫妻が教えてくださったことに素直に聞き従った結果、このような幸福な結末を迎えることが出来たことを心から感謝しております。
 これからは新しい出発だと思います。今後は、残された遺族一同にも故人同様のご厚情を賜りますよう、心からお願い申し上げながら、挨拶の言葉に替えさせていただきます。本日は誠にありがとうございました。」



ラベル: 聖和式
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2015年05月30日

昨日、母が聖和いたしました。

昨日、母(井上悦子・独身祝福)が聖和いたしました。

床ずれで入院はしていましたが、まだまだ元気だったので、死などまったく予期していませんでした。

お父様の聖和1000日を迎えるこのときに、
これからの天の摂理のために、
私の代わりに霊界に行ってくれたのだ、
と感じます。

午前中、メーリングリストに統一経済論の論文を流した日の、午後でした。



ラベル:統一経済論
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2015年05月17日

映画「桜田門外ノ変」を見て

最近、映画「桜田門外ノ変」を借りてきて、見ました。

映画『桜田門外ノ変』予告編 - YouTube

ずっと前に公開になった映画ですが、今回初めて見ました。

1度見て「こんな悲しい映画は一度見れば十分だ」と思いましたが、
返す前にもう一度見ておこうという気になって、もう一度見ました。

そして、当時の志士たちの苦悩が伝わってきました。


清国を侵略した西欧列強が次に日本を狙っているという状況の下で、
開国か攘夷かで国内が真っ二つに分かれる中、
開国派の井伊大老を、水戸脱藩浪士と薩摩藩士が襲撃しました。


私は、彼らが、井伊大老を斬りたくて斬ったわけではなかったという深い悲しみを感じました。
欧米列強の理不尽なやり方が、すべての人を狂わせた、ということを感じました。
当時、欧米は、欧米諸国内でも戦争をしていました。
幕末の志士たちが向き合ったのは、藩の問題でも、日本だけの問題でもなく、世界人類が抱え込んだそういった問題だったのだと思います。
そして、この歴史は、今も続いている、と思いました。

品を変え、形を変えて、今も続いています。
共産主義が現れても本質は変わりありませんでした。
混合経済が現れても、本質は変わっていません。
むろん、民主主義や社会主義でも、本質は変わりません。


統一食口である我々は、この歴史をどのように切り開くのか。
彼らの無念さを晴らしてあげられるのは、我々しかいません。

刀ではなく、理念でもって、我々は歴史を変えましょう。



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2015年04月06日

彼らの戦いは世界平和のための戦いだった

先日、新しく就任された教区長様は、霞ヶ浦の特攻隊の記念館(雄翔館)を訪れてくださいました。

最初から最後まで涙、涙だったそうです。

茨城にはこの霊界がある、この霊界をまず解放しなければならない、とおっしゃってくださり、今度、映画「永遠の0」をみんなで見ることになりました。


確かに、茨城にはこの霊界があるかもしれません。
私は今も、ほぼ毎日毎晩、神風特攻隊員たちの遺書【キミガタメ】 - YouTube にどうしても手がいってしまいます。


二十歳そこそこで特攻で死んでいった彼らの思いは、確かに、国のためとはいえ、辛かった、悲しかった、無念だったという思いが無かったといえば、うそになるでしょう。

しかし、霊界に行ったあとの彼らの今の思いは、死ぬ前とは若干違ったものがあるというのを、私は感じています。

それは、彼らが特攻で戦った戦いを最後まで戦い抜いて勝利して欲しいという願いが彼らにはあるということです。
彼らの戦いは世界平和のための戦いだったのです。

どうしたら、この戦いを勝利で終わらせて、彼らを安らかに眠らせてあげられるのか。

これをなんとしてでも成し遂げなければならないと思います。



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2015年01月27日

真のお父様が証ししてくださった、神様が与えてくださった大地

今度の県会議結成大会の案内のDMを折りながら、BGMに流していた「栄光への脱出」を聞いていて、私は涙がこみ上げてきてしまいました。

前にブログでこの歌のことを書いたのが、2010年12月
翌年の名節のときに、誰かがこの歌をご父母様の前で歌ったのですが、
その翌年、お父様は聖和されたのでした。

私は、
「 when the morning sun reveals her hills and plains
Then I see a land where children can run free.」
のところで、ぐっときてしまいました。

真のお父様が証ししてくださった、神様が与えてくださった大地は、子供たちが自由に走り回ることの出来る大地だったということに。

天一国はそうです。
誰もこの地を侵すことは出来ないはずです。



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2015年01月22日

地上天国とポピュリズム

最近、「ポピュリズム」という言葉が気になっています。

地上天国という、すべての人が幸福に生きられる理想世界を目指している我々ですが、万民に幸福をもたらすというとポピュリズムと曲解される可能性があります。

ポピュリズムは、大衆主義とか大衆迎合といった意味です。

ポピュリズム - Wikipedia

これは、すなわち、人間の主義です。人間の特に大衆を中心とした主義です。

一方、統一教会で言っている地上天国とは、神主義です。
神様を中心とした人類一家族社会です。
神様の創造目的が成就された世界のことです。

人類の真の父母である神様の理想こそが人類にとって最も幸せな世界を意味しています。


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2015年01月02日

今年は家庭盟誓を唱和するようになってから21年

さっき、相対者と話をしていて、今年は家庭盟誓を唱和するようになってから21年になることに気が付きました。

家庭連合創設からも21年になります。

わが家庭においても、これまで21年路程を経てきた感があります。
2001年5月に新しい家に引っ越し、2008年2月にも新しい家に引っ越したのは、それぞれ節目の年でした。

そして昨年4月に今の家に引っ越して、迎える今年2015年は、まさにヨベルの年です。



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2015年01月01日

新年を迎えての抱負

新年、あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

基元節3年目を迎える2015年は希望の年であると言われています。

また、今年は、弘法大師空海が高野山を開創してちょうど1200年。

高野山真言宗 総本山金剛峯寺
http://www.koyasan.or.jp/1200/


宗教が求めてきた理想世界が実現し、宗教の使命が成し遂げられる年になるのではないかと思います。

私の研究テーマは経済です。
天が理想とされる経済社会がいかなるものであるのかをたずね求めて、今年一年もまっしぐらに走ってまいりたいと思いますので、なにとぞどうぞよろしくお願い申し上げます。



ラベル:統一経済論
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2014年12月14日

天のみこころのままに

イエス様は、十字架にかかるときに、「わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」と祈られましたが、私は、最近、この意味を考えることがよくあります。

「そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、『わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい』。 」
(マタイによる福音書 26章 39節)


今まで、私は、この「みこころのままになさって」を、杯のことに対してのみ考えていました。
しかし、最近、私は、この「みこころ」を人類救済の父のみ旨全体を指していたのだということを、感じています。


イエス様が、天のみこころに委ねたご心情には、メシヤとして、全人類の救済を天に委ねるご心情があっただろうということを感じています。

苦しいからみこころに委ねたというよりも、天のみ旨を思ってすべてを委ねた、ということです。

良かったとしても、悪かったとしても、天のみこころに委ねることがとても大切だと思います。

私は、これこそが、最大級の天の伝統、レガシーだと思います。



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2014年12月08日

万物を復帰するのも、人間を復帰するのも、誰が復帰するという話なのかと言うと

昨夜、「アダムの家庭におけるメシヤのための基台とその喪失」(原理講論 p.297〜p.300)を、訓読いたしました。

信仰生活をするにおいては、とかく、自分が献金をどう勝利するかとか、自分が伝道をどう勝利するかとか、自分のレベルで物事を考えがちです。

しかし、昨晩、み言を読んで、原理講論に書いてあるのは、人間のレベルの話ではなく、神様のレベルの話であることが、とてもよく分かりました。

この違いはものすごく大きいと思います。

この認識の違いは、霊的生命をも飲み込んでしまうような影響を及ぼすと思います。


原理講論には、こう書いてあります。

「したがって、神はアダムの代わりに、彼の次子アベルを立てて、『象徴献祭』をささげるようにされた。」

すなわち、この摂理を主導したのは神様であって、アベルではない、ということです。
神様がアベルを立ててそうするようにされた、と書いてあります。

ですから、アベルが中心といっても、ほんとの中心は神様だということになると思います。

すると、

「『象徴献祭』をみ意にかなうようにささげて、万物を復帰するための蕩減条件と、人間を復帰するための象徴的な蕩減条件とを同時に立てたのちに、この基台の上で、再び、人間を実体的に復帰するための蕩減条件として、『実体献祭』をささげなければならないのである。」

の中の、「万物を復帰するため」「人間を復帰するため」というのは、誰が復帰するということなのでしょうか。


私は、今まで自分がこの部分を誤解して読んでいたように思います。

すなわち、自分が万物を復帰し中心人物に立つための信仰基台と、自分が人を復帰するための実体基台、というふうに捉えていたところが、どこかにあったように思います。

しかし、これは間違った理解でした。
万物を復帰するのも、人間を復帰するのも、神様が復帰する話でした。

神様が万物を復帰するとともに私を中心人物に立たせるための象徴献祭と、神様が人を復帰するための実体献祭、ということだと思います。

この認識の上に立たないと、正しい復帰摂理の道をたどって行くことは出来ないように思います。



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2014年12月06日

母の認知症

最近、母が認知症で、寝たきりになりました。

4月には既に脳の萎縮がかなり進んでいたようなのですが、お医者さんも気付かなかったし、私たち家族も気が付きませんでした。物忘れがひどくなる感じではなかったからです。

夏ごろに腰の手術をして、秋になって痛い痛いというのが非常に激しくなり、どこが痛いのかわからないほど痛い痛いと言う状況で、これはちょっとおかしいと、外科から精神科へ移りました。

うつの診断を受けたのですが、食欲はあるし、なんかうつっぽくない。それで、色々インターネットで調べたら、レビー小体型認知症の症状がよく似ていると思って、あちこちの病院に行って診てもらいました。
便秘でおなかに相当便が溜まっていたというのもあったようです。

今は薬で便も通るようになって、ようやく穏やかさを取り戻しました。
そして、最終的には認知症の診断と、要介護4の認定をもらいました。


ショックな話ですが、お袋が寝たきりになって、身の回りの世話をするようになって、かえって幸福感が増したように感じます。

もし、寝たきりにならずに一生終わったならば、こんなに世話をしてあげる機会もなかったでしょう。
それが、こんなふうに、世話をしてあげられることに、神様の愛を感じます。

また、認知症になったお袋は、これまでと違ってとても開放的になり、子供のように何でも思っていることをよくしゃべるようになりました。

認知症って、神様が与えてくれたものなのかな、悪いことばかりでもないなと、感謝している今日このごろです。



ラベル:認知症 お袋
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2014年11月30日

すべての人が個性完成することなど可能なのか? 神様の創造理想の実現とは。

神様の創造目的が成就するということは、人類すべてが完成するということですが、
果たしてそんなことが可能なのでしょうか。


ここで考えてみなければならないのは、ここで言っているのが「個性完成」であって、「人格完成」ではないということです。

神氏族的メシヤは氏族のメシヤですから、当然、個性を完成し、家庭を完成したあとのことになります。

ということは、個性完成していなければ、神氏族的メシヤにはなれない?

では、自分は果たして個性完成していると言えるのでしょうか?

個性完成について、原理講論には、

「個性を完成した人間は、神の喜怒哀楽を直ちにそれ自体のものとして感ずるようになり、神が悲しむ犯罪行為をすることができなくなる」
(原理講論 第一章 創造原理 第三節 創造目的)

と書かれています。

すなわち、個性完成とは、神様の喜怒哀楽を自分のものとして感じられるようになることを言っているのであり、自分の性格とか人格を言っているわけではありません。

性格といえば、無口の人もいればおしゃべりの人もおり、のんびりやもいればあわてんぼうもいます。
また、人格的に完全な人など誰もいないのではないでしょうか。

怒ることもあれば、忘れることもあります。

しかし、個性完成はそういうことを言っているのではありません。

神様の心情を自分のものとして感じられるようになることであり、これは、どんな性格、どんな人格の人でも可能なので、すべての人が個性を完成することが出来るのだということになると思います。



ラベル:個性完成
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2014年11月25日

最近よく聞く歌 「宇宙戦艦ヤマト」

最近、私は、「宇宙戦艦ヤマト OP FULL」を聞きながら時々涙を流します。
ちょっと照れくさい話ですが。

聞いている途中で子供たちが部屋に入ってくるときも、照れくさいのですが目を閉じてじっと聞いています。

宇宙戦艦ヤマト - ささきいさお - 歌詞・動画 歌ネット
http://www.uta-net.com/movie/2273/
(「宇宙戦艦ヤマト OP FULL」は関連動画の中にあります)

私が子供のころに見た漫画なのですが、なぜこんな漫画があったのか、私たちの気持ちをそのまま歌っているように感じます。



放射能に汚染された地球を救うため、イスカンダルという宇宙の果てに放射能除去装置を取りに行く話ですが、
これは人類が真の父母を迎えるために果てしなく闘った天の摂理を感じさせます。

いまや我々は、その放射能除去装置ともいうべき真の父母を迎えました。
放射能除去装置がなく汚染されっぱなしだった今までの人類とはまるで違う、放射能除去装置を持った人類になったということです。

我々は、いま、真の父母を中心として、地球へ帰還する旅路に着いたところでしょうか。
それとも、地球から放射能を除去する作業に着手したところでしょうか。

地球全人類が待ち望んだ、満ち溢れる希望をもって、最後の戦いが始まったのかもしれません。


「♪地球を救う 使命を帯びて
  戦う男 燃えるロマン」

「♪愛しい人が 幸せの歌
  微笑みながら 歌えるように」



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2014年11月24日

「教会には愛がない」と、統一教会の主流思想

「教会には愛がない」という言葉を、時々耳にします。

私は、これは、ある面、その通りだと思います。

教会員が、上に立つ人の配慮のなさにつまずいて、こう言います。
上に立つ人は、他に色々なことで頭がいっぱいで時々配慮に欠けたり、こちらを犠牲にしてそちらを優先せざるを得なかったりします。
上に立つ人に堕落性がないかと言えばそう言い切ることも出来ません。
そういったことが折り重なって、愛がないという結論になってしまいます。

様々なことで頭が一杯だからといって、上に立つ人の愛のなさを正当化することは出来ません。
また、「愛がない」の愛の意味がほんとうに真の愛かどうかも問題です。

そして、これは、一番上から末端まで、統一教会全体に対して、言えることです。

ここには、色々な悲しみがつまっていることを感じます。

堕落のゆえに人間がこうなってしまったことを悲しまれる神様の悲しみ。真の愛を受けることが出来ない人間の悲しみ。そして、復帰摂理を急ぐために犠牲にせざるを得ない悲しみ。


「愛がない」原因を、人間の堕落に見出し、これを凌駕していこうとするのが統一教会です。

ですから、どんなに、愛がないように感じられる険しい道のりも乗り越えていかなければならなくなります。

そして、たどり着くのは、神様の愛から始まる本然の正常な人間社会です。

そこにたどり着くまで、道がどんなに険しくても乗り越えていかなければなりません。
一人の人の死をも越えて行かなければなりません。
その死が、自分が請け負うものであったとしても、越えて行かなければなりません。

これまでの復帰摂理歴史はそうでした。
数知れない人々が、天のみ旨を中心として、犠牲になっていきました。
400年という摂理期間は、人間の一生には長すぎます。ですから、犠牲にならざるを得ない人々は無数にいました。
私たちも同じです。

天の摂理のために犠牲の道を行かなければならないと思います。

天が摂理される時を迎えるために、絶対的信仰を貫いていかなければならないと思います。

メシヤとは、この天の主流思想の上に立った人なのだと思います。

真のご父母様が天に侍っていらっしゃるお姿は、こういうお姿であろうと思います。

その子女の位置に立つ氏族的メシヤに私たちが立とうとするならば、やはり同じく、このような姿勢でなければならないであろうと思います。

そうしてこそ初めて、天が役事することが出来るのであろうと思います。



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2014年11月17日

虎穴に入らずんば虎児を得ず。新たなる決意。

11月13日の茨城県民の日の大会が終わって、茨城においては新しい一年が始まりました。来年の県民の日に向かって出発です。

私は、430家庭祝福勝利を目指す固い決意をいたしました。

何だかんだ言っても、これから先やるべきことと言ったら、神氏族的メシヤの勝利である、この430家庭の祝福の勝利しかないなと、悟りました。

結局、これを避けては、神様の創造理想の実現をすることは出来ない、ということになると思います。

「虎穴に入らずんば、虎子を得ず。」

まず、430家庭にアプローチしなければ、いつまで経っても絵に描いたもちに過ぎないなと思いました。



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2014年11月15日

花火と案様から貴重なコメントをいただきました。私の言葉で恐縮ですが、お返事させていただきます。

花火と案様から貴重なコメントをいただきました。
http://ucpeople.seesaa.net/article/408900260.html#comment

私の言葉でのお返事はたいへん恐縮に思いますが、お返事させていただきたいと思います。

> 天一国とは、どこの国ですか? 韓国ですか?日本ですか?それともどこの国ですか?

天一国とは現存するどこの国でもありません。
神様の創造理想から出発した新しい国です。
その出発地は韓国にありますが、これは今の韓国そのものを意味しているわけではないと思います。
さらにいえば、天一国とはこの地球星全部と宇宙、霊界まで含めた天宙全体を意味しています。
真のご父母様が万王の王天地人真のご父母様として勝利してくださったので、天宙全体が天一国に含まれることになると思います。

天一国憲法にも、「神様の平和理想世界が実現された」という条件つきで、天宙が対象であることが記載されているようです。


> お父さまの話はなにもありませんが、それと韓国の統班撃破はどうなっていますか?

韓国の氏族メシヤのなさることなので、その状況がどうなっているか、私の聞く範囲ではわかりません。


> 韓国の伝道はお父さまの指示ですよね!

そうですね。
日本が韓国を伝道しなさいとも言われていると思います。


> 日本は、まず夫や妻、子供たちの復帰ですね?

そうですね。
八段階路程を考えれば、まず家庭が一つになることが氏族メシヤになるうえで、また日本を伝道するうえで、大切なことだと思います。


> 借金ゆえに、夫や家族に言えない方々はどうしたらいいか教えてください!

言えないというのは勇気を持って言わなければならないと思います。

その際、あらゆる非難を受けるかもしれません。
それでも、それを避けて通ることは出来ないと思います。

どのようにして勇気を持つのがいいかと考えますと、
なぜ借金をしたのか、その動機を考えてみたらいいと思います。

家庭や子孫の幸福のため、氏族のため、国と世界のために、借金したのではないですか?

家庭や子孫、氏族、国家、世界が神様の善なる対象となって、神様の人類救済の摂理が勝利するように、借金までして苦労したことは、賞賛されても、非難されることではありません。

では、どうして、夫や家族は非難するのでしょうか?
人類が、堕落した人間始祖の後孫になってしまったがゆえに、価値観が、自分中心、お金中心になってしまっているからです。
神様を中心とした創造本然の、真の幸福に満ちたほんとうの世界では、自分が生きるためのお金にしがみつく必要はさらさらなく、他のために生きさえすればそれですべてが満たされる世界です。
この本然の世界を知らず、堕落した世界に生きているがゆえに、夫も家族も非難するのでしょう。

でも、非難の言葉などは一時のものです。
創造主である神様が厳然として存在し、神様が万王の王として、人類を、霊界に行ってからも導いてくださっている今日において、そのような非難の言葉を恐れる必要はありません。


> 借金して、年金も貰えない人には、どんな伝道の仕方がありますか?家族から見放された方々は、韓国の方々が全力で解決してあげるのが夫の国の使命と思いますが教えてください。


まず、夫の国の使命ですが、これはむしろ、日本が夫の国を立ててあげる使命があると思います。
祝福は、メシヤから女性、女性から男性に、血統転換の聖酒が渡されるようにです。

そして、韓国の方々が全力でということですが、韓国の方々に限らず、誰かの助けを期待して待っているのではなく、神様によって生かされた真の人間になることを考えるのが肝要かと思います。

「ぼろは着てても心は錦、どんな花より綺麗だぜ。」「武士は食わねど高楊枝」の心境です。

目的は人類救済です。神様の働き得る一人になることが、何よりも重要です。

そして、伝道は。
私もまだ勝利していないので何も言う資格はありませんが、伝道は、神様の代身として人を愛することから始まると思います。神様のこと、真のご父母様のことを話してあげることは、考えてみれば、お金もかからないことです。
少なくとも神様は私たちを生かしてくださっています。
私に言えるのはこのことだけです。



今日は、土浦カレーフェスティバルを近くでやっているようです。
さきほど、家の上空地上すれすれでアクロバット飛行をやっているのを間近に見て、とても感動いたしました。

レッドブル・エアーショー at 土浦カレーフェスティバル - YouTube



posted by 若枝 at 12:22| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする